なぜ「GT-R」は消滅したのか? 開発困難を超えた日本スポーツカー市場の「構造的病理」
GT-R消滅と市場構造
2025年8月26日、日産「GT-R」の生産終了が報じられた。現行モデルは2007(平成19)年に登場し、18年の歴史に幕を下ろした。
【画像】「えぇぇぇぇ!」 これが日産自動車の「平均年収」です! 画像で見る(11枚)
振り返れば、スカイライン2000GT-Rは1968(昭和43)年10月の第15回東京モーターショーで初披露され、翌1969年2月に「GT-R」として発売された。日産だけでなく、国産スポーツカーの象徴でもあったGT-Rは、56年の歴史を閉じることになる。
初代ハコスカGT-Rから最後のR35GT-Rまでの歩みは、日本のスポーツカーの華やかな歴史そのものである。テレビでは「環境や安全規制の厳格化で開発コストが膨らんだこと」が生産終了の理由として報じられた。
しかし、その背景には産業構造の変化、経営戦略の転換、消費者需要の変化、経済環境の影響も存在する。
規制強化と採算悪化
日産自動車のロゴマーク。2022年1月14日撮影(画像:時事)
自動車規制の強化はまず環境面で顕著である。日本のみならず、欧州の「EURO 7」規制や北米の排ガス基準強化など、世界的に規制は厳しくなっている。
そこに安全面の規制も加わる。日本では自動ブレーキ義務化やサイバーセキュリティ規制などが導入された。騒音や排出、そして安全に関わる規制が厳格化するにつれ、新しい設計や部品が必要となる。人件費を含め開発や製造のコストは膨らみ、当然販売価格に転嫁される。
GT-Rの価格は2007年時点で最も安いグレードでも税込777万円だった。しかし現在では最安グレードでも1444万円となり、当時の1.8倍以上に上昇している。開発費の増大が悪化した経済環境の下で消費者の購入可能価格を超え、販売台数が縮小し、投資回収が困難になる。こうした悪循環が生じた。
さらに、日産の経営状況の悪化も背景にある。日産は経営再建中である。2024年度の決算では、売上高は前期比横ばいの12兆6332億円だったが、純損益は6708億円の赤字となった。
2025年4月~6月期の売上高は前年同期比9.7%減の2兆7069億円で、営業損益は791億円の赤字、最終損益は1158億円の赤字となった。2025年4月~9月期では、営業損益が約1800億円の赤字に達するとの報道もある。米国での追加関税も懸念材料である。
こうした状況では、研究開発のリソースを集中せざるを得ない。日産はスポーツタイプ多目的車(SUV)と電気自動車(EV)に資源を集中する方針をとった。GT-Rはブランドの象徴であるが、量産効果がなく採算を確保できないため継続は困難と判断された。EV関連の研究開発や車種展開を考えると、低公害車両に資源を振り向けるのはやむを得ない選択である。
SUV・ミニバン全盛時代
三菱 ランサー エボリューションX MR SST 14(画像:三菱自動車)
スポーツカー市場、特にGT-Rとの競合はどうなっているのか。生産終了の例としては、三菱「ランサーエボリューション」(2015年)、SUBARU「WRX STI」(2020年)、ホンダ「NSX」(2022年)がある。
ランエボの場合、燃費志向の高まりが生産中止に影響した。2013(平成25)年の販売台数は3500台と低迷していた。ここ10年ほど、燃費や環境配慮への意識が高まり、従来型スポーツカーへの関心は薄れた。一方で、トヨタ「GR86」やマツダ「ロードスター」は、軽量・低価格戦略で生き残っている。
プレミアム路線では、世界的に知名度の高いポルシェ911をはじめ、フェラーリやランボルギーニが規制対応と高価格化を両立させて生き残っている。世界的にはふたつの生き残り戦略が見えるが、日産は両戦略の中間で立ち往生している印象がある。
国内新車市場を見ると、SUVとミニバンが約5割を占める。2021年には登録乗用車販売台数に占めるSUVの割合が初めて30%を超え、30.4%に達した。販売台数は65万1093台で、過去5年間で1.7倍に拡大した。その後も売れ行きは堅調だ。SUVはデザインやコンセプトが多様化し、EV、ハイブリッド車(HV)、プラグインハイブリッド車(PHV)など多様なパワートレインが選べるようになった。コンパクトSUVのラインナップ拡充も幅広い層の需要を牽引している。
ミニバンも高い実用性と居住性から根強い人気を誇る。パワートレインの多様化も進んでいる。ファミリー層や営業用途でもSUVとミニバンは人気だ。最近の子育て世代は使い勝手を重視する。ミニバンやSUV、3列シートの車が好まれ、スタイルや走りよりも現実的な実用性が重視される。スーパーの駐車場の様子からも、この傾向は明らかである。
一方、国内登録乗用車に占めるスポーツカーの比率は2%未満にとどまる。若年層の所得停滞により、高額スポーツカーの購入層は縮小している。少子化に加え、10代・20代の運転免許保有者数は過去2年間で約655万人減少した。購入者の間では、初期費用だけでなく維持費への懸念も強まり、実用性と燃費を優先する傾向が強まっている。趣味性の高い車の市場は縮小している。カッコいい車でデートをしたいという消費行動は、今や経済情勢が許さない状況だ。
GT-R維持の新戦略
NSX Type S。2022年10月終了モデル(画像:本田技研工業)
今回のGT-Rのようなスポーツカーが失われる原因は、規制だけではない。
・企業の投資余力不足
・ブランド戦略の不在
・消費者ニーズの変化
が同時に作用した複合的な結果である。これはGT-Rだけでなく、日本メーカー全体が直面する課題でもある。
EVなど低公害車市場での国際的な出遅れも影響している。消費者の経済状況が好転せず、車自体を購入しない人も増えている。サブスクリプションやレンタカーなど、車を保有しなくても済むビジネスモデルの波及も背景にある。環境に配慮したSUVやミニバンの方が実用的であるという流れもある。
しかし、開発や経営の合理化が進みすぎた結果、スポーツカーのような趣味性の高い車が失われることは、多様性の観点から残念だという声も根強い。車種の多様性はマーケットの維持と拡大につながるとの意見もある。スポーツカーを残す方策も検討されるべきである。
では、スポーツカー市場を維持するにはどうすればよいか。ひとつは高付加価値路線である。熱心な自動車ファン向けに、少量限定生産の高付加価値車を販売する戦略で、ブランドの維持にもつながる。
ふたつめはEVスポーツカー化である。賛否両論はあるが、2004年当時、慶應義塾大学の電気自動車研究室はEliicaを開発した。最高時速370km、一充電航続距離300kmのハイパワーEVである。排ガス規制を回避しつつ、スポーツカーとしての加速性能と走りを両立させ、新たな市場を狙った。低公害化への思いとスポーツカーの楽しみを両立させる戦略は、新しい市場化の一手となる。
三つめは開発における外部連携である。自動車メーカー同士やサプライヤーとの共同開発でコストを分担する方法がある。さらに、デジタル領域でのブランド展開も考えられる。eスポーツや高性能シミュレーションを取り込み、スポーツカーの楽しさを拡張する方法だ。ブランド力向上にもつながる。
国内市場の縮小を受け、グローバル市場での需要を取り込む戦略も必要だ。外国メーカーとの協働もひとつの選択肢である。多面的な戦略を組み合わせ、スポーツカー市場の維持と拡大を図ることが求められる。
日本車の再起戦略
日産・イヴァンエスピノーサ社長(画像:日産自動車)
今回のGT-R生産終了は、単に「スポーツカー開発が難しい」という説明を超えている。特に、日本の社会構造を背景にした自動車産業の構造的課題を浮き彫りにした事例である。
規制強化、需要変化、投資不足が同時に進行するなかで、日本メーカーが新しいスポーツカー像を再構築できるかは、ブランド力と産業競争力の将来を左右する重要な問題だ。
GT-Rは一度姿を消したが、次世代技術を取り込み新しい形で復活できれば、日本自動車産業の存在感を再び世界に示す契機となる可能性がある。
日産のイヴァン・エスピノーサ社長は、
「GT-Rが自動車産業に決して消えない足跡を残したことに疑問の余地はない。いつか復活させることが、我々の目標だ」
と述べている。その実現に向け、あらゆる可能性を検討することが求められる。