【インタビュー】ヴィッセル神戸退団時「もう自分は終わってもいい」と引退も考えたMF中坂勇哉…FC BASARA HYOGOで歩む新たな道
【インタビュー】ヴィッセル神戸退団時「もう自分は終わってもいい」と引退も考えたMF中坂勇哉…FC BASARA HYOGOで歩む新たな道
J1ヴィッセル神戸がリーグ2連覇をした昨年、アカデミーから大きな期待を受けて育った男の契約満了が12月に発表された。
MF中坂勇哉は中学から神戸アカデミーで育ち、トップチームに9シーズン在籍した。
優れた技術と機知に富んだアイデアを駆使して、ピッチ上で華麗なチャンスメイクを披露した男は一時現役引退も考えたという。
J5相当の関西1部FC BASARA HYOGOで新たな道を歩み始めた男の辿った道筋を追った。
(取材・文・構成 高橋アオ)
栄光の2年の陰で…「もう自分は終わってもいい」
契約満了を告げられたJリーガーが現役続行のために集うJPFAトライアウトが昨年12月の栃木市内で開催された。配られた参加者リストに中坂の名前はなく、当時の神戸サポーターは不安にかられた。
中坂は「それ(トライアウト)を受けるなら、もう自分は終わってもいいぐらいの感じがそのときはあった」と振り返った。
J1を2連覇した神戸が築いた栄光の2年で、中坂にとって耐え難い時間を過ごした。中坂は2シーズンでリーグ杯7試合に出場するも、リーグ戦と天皇杯は出場ゼロに終わった。
神戸時代の中坂(Getty Images)
この間に神戸を離れる選択もあったが、「もちろん(神戸を離れる)タイミングもありました。 ただ、自分の中で移籍したからといって試合に出られるわけでもないと思いました。なかなか試合に出られへん状況で外に出るというのは、簡単なことだと自分の中で思っていた。 プレーできない状況でも我慢しながらやるという選択肢は、多分自分がそのときに選んだんじゃないかと思います」とチャンスを模索し続けた。
ただ耐えながら待ち続けても、一向に出場機会は訪れなかった。
「試合に出ていないことは自分の実力不足です。自分はやれるという自信もありながら、実際は試合に出られない、使ってもらえない。ネガティブな気持ちはもちろんありながらトレーニングをしていましたけど、試合で結果を出すことが一番大事です。そのために練習や日ごろの行いをやらないといけない。 そこで(練習を)やったからといって試合に出られるわけではないですが、プロとして練習をしっかりやることが一番大事。ただ試合に出られなくて悔しい気持ちはありました」
そしてJ1連覇を達成して華やかな雰囲気で盛り上がるチームをよそに、中坂の契約満了が発表された。アカデミー入団から数えて15年―。時が進むにつれてプレーをする喜びは蝕まれるように失っていった。
J1リーグ2連覇を達成した神戸イレブン(Getty Images)
当時を振り返る中坂は暗い表情を時折浮かべながらも、そのときの心境をオブラートに包まず発した。
「去年のタイミングぐらいから、いろいろ思うことが自分の中であったのは事実です。シーズン終わってからいろいろな話をしている中で、だんだん熱が冷めていたというのは、自分の中であった。『もうこのままやめてもいいかな』という気持ちは正直ありました」と吐露した。
神戸ではクラブ、サポーターからも大きな期待を受けていた男の全盛期は、大きな可能性を秘めていた。神戸の未来を背負う男が歩んだ過去に迫った。
神戸の未来を背負ったチャンスメイカー
中坂のプレースタイルは卓越した技術に基づいたチャンスメイクが武器であり、相手を寄せ付けないパスや守備をはがすドリブルは見とれるほどの優雅さがあった。2016年にプロデビューを飾り、リーグ戦12試合1得点を記録。翌シーズンはリーグ戦14試合2得点と順調に結果を残した。
2018年は当時スペイン3部CFペララーダへ期限付き移籍。当時スペインに所在する会社の代理人と契約していた中坂は「あのときはなかなか試合に出られない時間帯も多かった中で話をいただけた。若かったし、海外で生活しながらプレーすることは、自分のためになるんじゃないかと思って移籍を決めました」と海外で武者修行に励んだ。
日本有数のビッグクラブからスペインのアマチュアカテゴリーのクラブへ移籍したことで、文化の違いやハングリーさを学んだ。
「3部になるとなかなかサッカーでご飯を食べられる選手も少なかったです。僕が行ったそのチームでは、日本に比べて練習からもっとバチバチというか、譲り合ったりと、試合へ出るために自分が輝くことが大事でした。僕が感じた日本との違いですね。いま振り返るといい経験になったかな」
翌シーズンは当時J2の京都サンガへ期限付き移籍し、元日本代表DF田中マルクス闘莉王さんから公私にわたって可愛がられた。日本代表で名を馳せた名プレイヤーから多くを学んだ。
中坂に薫陶を預けた授けた闘莉王さん(Getty Images)
「(闘莉王さんから)『気にせず若いねんから、やったらいいやん』とシンプルですけど、それが一番自分の中では大事な言葉というか。それは自分も大事にしていた部分ではあったので、やっぱり『その方がいいよ』と言われたことが自分の中では一番大きかった」と、自信を深める言葉になった。
2020年に神戸へ復帰してから転機を迎えた。同年9月にドイツ人指揮官トルステン・フィンク監督の後任指揮官を三浦淳寛(あつひろ)スポーツダイレクターが引き受けた。
「アツさんが強化のときからうまくいってないときに声をかけてくれました。そういうのが自分の中で『やらなあかん』とポジティブな気持ちになれました。アツさんには助けられました」と中坂。
強化部時代から中坂に期待を寄せた三浦監督(Getty Images)
三浦監督から指導を受け始めてからは、競技への向き合い方が変わった。朝早くに練習場であるいぶきの森球技場へ足を運んで、トレーニングに向けた準備をするようになった。
「『高校生みたいなことを俺は言いたくないけど』という話がスタートでしたね。僕はどちらかといえば、用意や準備をするタイプではなかったので、朝に(トレーニング開始)1時間半前に(練習場へ)来て、しっかりと体をほぐしたりとかしました。 準備をしてトレーニングをする方が、スムーズにトレーニングにも入っていけます。特別何をやれ、何をしたらいいと言われてはいませんけど、朝8時にクラブハウスに来て、あの練習に向けてやることをやる。 それからずっとトレーニングの準備をやりました」
地道な努力は実を結んだ。中坂は2021年シーズンにリーグ戦28試合3得点1アシストとキャリアハイの活躍を披露。「1年間通して試合に出続けられたことは、選手として自信になりましたし、すごく充実した1年でした」と、まさに神戸の未来を背負う生え抜きとして大きな期待を受けるほどに成長した。
横浜FCの松尾佑介(左)とマッチアップした中坂(Getty Images)
神戸の未来と目されていた中坂だったが、アカデミー時代は紆余曲折を経てプロとなった。問題児といわれたテクニシャンは、どのような経路を辿ってトップチーム昇格を決めたのかに迫った。
紆余曲折のアカデミー時代と仲間たち
アカデミー時代からその傑出した才能で注目を浴びていた中坂だが、素行はお世辞にもいいと言えたものではなかった。
当時の話を聞くと、中坂は「若気の至りじゃないですけど…」と苦笑いを浮かべながら当時を振り返った。
素行不良により半年間は頭を丸めて清掃活動に取り組むなど、神戸アカデミーを誇る才能は悩み多き青春時代を過ごしていた。
荒れた高校生活を過ごした影響もあり、トップチーム昇格は紆余曲折があった。昇格が見送られそうだったが、当時チーム統括本部長代行を務めていた村野晋氏が中坂のプロ入りを後押ししたという。
「問題を起こして、普通だったら僕は多分切られていたと思います。(アカデミーの)寮長だった村野さんが強化部長でして、『こいつからサッカーを奪ったら 何もなくなる』じゃないですけど、『自分が面倒を見るから(トップチームへ)上げてくれ』と僕を強く推してくれたと、あとから聞きました。すごく心から伝わるものがありました」と深く感謝していた。
プロ2年目の中坂(右、Getty Images)
心を入れ替えてプロ入りを果たした中坂は順調に結果を出し始めた矢先に、吉田孝行監督就任から出場機会が激減。2年間に渡ってほぼ出場のチャンスがなかった神戸アカデミーの才能は、プレーする喜びを失ってしまった。
引退を考えていたが、かつてともに戦った仲間たちが待ったをかけた。神戸退団時に「みんな心配してくれてたことは、すごく自分も感じていました。『サッカーを続けてほしい』と言われましたね。これが自分にとって一番大きかった。一番印象に残っています」と振り返った。
一度は引退に傾きかけていたが、仲間たちの鼓舞やFC BASARA HYOGOの熱烈なオファーもあり、次第にサッカー熱が再燃して現役続行を決めた。
自身の熱意を呼び起こした仲間たちとは神戸退団後も交流が続いている。アカデミー時代の同期であるDF山川哲史(てつし)、後輩のMF佐々木大樹とはよく連絡を取り合っているという。
よく連絡を取り合う神戸MF佐々木は人懐っこい性格だ(Getty Images)
ピッチ外ではバーベキューを趣味とする中坂は、仲間たちに卓越した手さばきで仕込んだバーベキューを振舞うこともあった。
バーベキューの話題になると目の色を変えて「僕は用意や準備したりするのが好きなので、バーベキューをするときは、2、3日前ぐらいからいろいろ漬けたりとかしています。バーベキューといえば牛ですけど、僕は結構焼き鳥が好きです(笑)。鳥は売られているやつじゃなくて、もも肉や胸肉を自分で切って、串で打ってから持って行っています」と熱弁。
佐々木とは近日バーベキューの約束をしており、「近々バーベキューをしようと大樹が言っているので、大樹のSNSに映るかもしれないですね」と白い歯をこぼした。
新天地FC BASARA HYOGOで歩む道
神戸退団発表から2カ月半の月日が流れ、今年3月10日に関西1部FC BASARA HYOGOへの入団が発表された。
FC BASARA HYOGOでプレーする中坂(中央、FC BASARA HYOGO提供)
神戸退団後に熱烈なオファーを受けた中坂は「どこのカテゴリーというより、自分を必要としてくれるチーム。『力を貸してほしい』という純粋な言葉に、自分で良ければというか、少しでもできることがあればという思いが一番強かった。そこが決め手であり、もう一回頑張りたいと思いました」と快諾。その熱意にほだされ、再び闘志に火が灯った。
入団後すぐ主力に定着し、リーグ戦9試合1得点3アシストとこれまで開催されている全試合に先発出場を果たした(8月21日現在)。プレーする喜びを噛みしめている中坂は、華麗なプレーで同リーグでも一線を画す存在となっており、チームも首位を独走している。
「毎日サッカーができることもそうですし、チームの状態もいいです。チームの状態が一番いいというのは、結果も雰囲気も含めていいです。自分もチームも充実しているという実感をしています」と柔らかい笑顔を浮かべた。
大津直人ゼネラルマネージャーは「(中坂は)チームにとっていいお兄ちゃんのような存在。若手選手をご飯に連れて行ったりと面倒見が良くて頼りになる選手です」というように、選手としても人としてもチームの柱として欠かせない存在となっている。
(FC BASARA HYOGO提供)
チームは全国社会人サッカー選手権の予選である関西大会を勝ち抜き、本大会出場を決めている。目標は日本フットボールリーグ(JFL、4部相当)参入がかかる全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2025での優勝だ。
「まずはリーグ優勝です。上のカテゴリーに上がりたい気持ちは僕自身そうですし、みんなが思っている。上のカテゴリーにこのチームが、行ければいいと思います。そのために自分が少しでもプレーで、示せればいいと思っています」と意気込んだ。
中坂を応援しようと多くの神戸サポーターが駆け付けている。中坂は自身を応援し続けたファンに深い感謝の気持ちを抱いている。
「(トップチームに)9年いて、特に神戸はスーパーな選手がたくさんいます。その中でも自分を応援してくれている、 気にかけてくれるファンサポーターの人がいることはすごくうれしかったです。自分の中でなかなか厳しいときもありましたけど、そういう人たちのお陰で気持ちを切らさずに最後まできたんじゃないかと思います。
残りリーグ戦5試合でいまは順調ですけど、いつ負けるか、どうなるか分からない。気が抜けない試合が続くので、少しでも多くの方に足を運んでもらって応援していただけたら、僕らの力になります。僕自身も神戸時代のファン、サポーターが観に来てくれたら、すごく嬉しいです。力になるので是非よろしくお願いします!」とファンに感謝を述べつつ、引き続きの応援をお願いした。
(FC BASARA HYOGO提供)
【インタビュー】“ヴィッセル神戸の未来”筑波大MF山内翔のアカデミー時代、あるサポーターの追憶
神戸の未来といわれた男は、あの苦しかった2年間の面影はない。快晴の青空のように清々しい表情を浮かべる中坂は、明石市を拠点とするクラブの未来を背負って奮闘し続けている。