「真夏の球宴」オールスターゲーム、MLBでもNPBでもかつての高揚感が薄れてしまったのはなぜか
2023年のオールスターゲーム第2戦が開かれたMAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島(筆者撮影)
オールスターゲームの源流をたどる
「オールスターゲーム」とは、プロスポーツで各チームを代表する選手がチームの枠を超えて一時的に集結して、期間限定で行う試合のことだ。
その最初は、MLBが1933年7月6日に開催した「ゲーム・オブ・ザ・センチュリー」という試合だ。アメリカン・リーグ、ナショナル・リーグを代表する選手が、シカゴ・ホワイトソックスの本拠地であるコミスキーパークに集結し、試合を行った。
この時点では、主催者はMLBではなく、この年行われていたシカゴ万国博覧会の記念イベントだった。
きっかけは、地元紙「シカゴトリビューン」に寄せられた少年の投書だったと言われる。
投書には「(アメリカン・リーグの強打者、ヤンキースの)ベーブ・ルースさんと(ナショナル・リーグ、ジャイアンツのエース)カール・ハッベルさんの対決が見たい」と書かれていたと言われる。
1901年に、アメリカン・リーグ、ナショナル・リーグの2大リーグになったMLBだが、リーグをまたいだチーム、選手の対戦は両リーグの雌雄を決する「ワールドシリーズ」以外になく、両リーグの選手は、同じ都市圏にチームが存在していても、真剣勝負をする機会はなかった。
ルースはこの年38歳、最晩年に差し掛かっていたが、ナショナル・リーグのチームとの対戦は、ワールドシリーズだけだった。フィリーズ、ドジャース、カブス、ジャイアンツ、カーディナルス、パイレーツと計41試合を戦っているが、当時30歳、この年、ジャイアンツで最多勝を挙げたハッベルとの対戦はなかった。
2022年のMLBオールスターゲームの舞台だったドジャースタジアム=ロサンゼルス(筆者撮影)
第1回オールスターゲームでは、ルースは3番右翼で出場し、本塁打を打つなど大活躍。ハッベルは7回から登板したがルースとの対戦はなかった。試合は4対2でア・リーグがナ・リーグを下した。
後年「少年の新聞への投書は本当はなかったのではないか」と言われるようになったが、この試合が好評だったので、翌年もニューヨーク・ジャイアンツの本拠地、ポログラウンズで行われ、ナ・リーグ先発のハッベルは、1回無死1、2塁で3番右翼ルースと初対戦し、1-2から三振に切って取っている。
以後、MLBのオールスターゲームは「ミッドサマー・クラシック(真夏の祭典)」と呼ばれ、人気のイベントとなった。
2016年のMLBオールスターゲームの舞台だったペトコパーク=サンディエゴ(筆者撮影)
選ばれるだけで名誉なMLBオールスター、日本人で唯一MVPに輝いたのは…
当初は出場する選手は、各チームの監督が推薦していたが、1947年からスターティングメンバーだけはファン投票で決めることとなった。
過熱したファンが特定のチーム、選手に大量の票を送りつけたこともあり、投票の形式は何度も変更されたが、今では一次、二次のファン投票で野手のスタメンを決め、投手やスタメン以外の選手は、監督、選手間の推薦で選出することになっている。
オールスターゲームの会場は、MLB球団の本拠地の持ち回りとなっている。1959~62年は2試合が行われたが、それ以外の年は1試合。オールスターゲームは計算上は少なくとも30年に1回しか回ってこないので、開催地では数年かけて準備する大きなイベントになっている。
MLBのオールスターゲームは、一時期を除いてたった1試合しか行われないので、選出される選手数も少なく、そのメンバーに選ばれるのは大変な名誉となっている。
選出回数1位は、ハンク・アーロンの21回、続いてスタン・ミュージアル、ウィリー・メイズの20回となっている。
両リーグの対戦成績は、昨年までア・リーグ48勝、ナ・リーグ44勝、2引き分けとなっている。
日本人選手では、1995年、近鉄からドジャースに移籍した野茂英雄が選出されたのが最初、野茂はナ・リーグの先発投手を務めた。
日本人選手では、イチローが10回、ダルビッシュ有と大谷翔平が5回、松井秀喜と佐々木主浩が2回、野茂など10選手が1回選出されている。
イチローは、2007年、サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地、AT&Tパークで、ランニングホームランを打ってMVPに輝いた。ランニングホームランはこの1本だけ。日本人選手のオールスターMVPもこのときのイチローだけだ。
2007年7月、オールスター戦でランニング本塁打を放ち、MVPに選ばれたマリナーズのイチロー(写真:共同通信社)
「打倒セ・リーグ」に燃えたパ・リーグ、野村克也らが中心となり作戦会議も
日本では、1950年に、セントラル、パシフィックの2リーグ制になった。それ以前はオールスター戦はなかったが、各球団が地域別に分かれて戦う「東西対抗戦」が行われていた。
1950年に第1回のオールスター戦が行われる予定だったが、2リーグ分立に際してルール無用の「引き抜き合戦」が横行したために、両リーグの関係は非常に悪く、この年は調整がつかず、オールスター戦は見送りとなった。
翌1951年に初のオールスター戦が甲子園、後楽園、後楽園で3試合行われた。原則1試合のMLBとは異なり、日本の場合、オールスター戦は以後も2~3試合行われてきた。
(筆者撮影)
最初の試合、パ・リーグの4番は東急の大下弘、セは大阪の藤村冨美男だった。
MLBのオールスターゲームは、真剣勝負であるのはもちろんだが、同時に「お祭り」というニュアンスもあった。公式戦では対戦することが無い大物選手同士が、旧交を温めるようなシーンも見られたが、NPBの場合、リーグ分立に際しての確執が長く尾を引いたために、対抗意識が非常に強かった。
特に1959年の「天覧試合」以降、巨人を中心とするセ・リーグの人気がパを圧倒するようになって、テレビにも滅多に映らなくなったパ・リーグの選手たちは、オールスター戦を「セの選手を打ち負かす絶好の機会」と見なすようになった。
オールスター戦が近づくと、パ・リーグのリーダー格の南海、野村克也などの古参選手が、パの主力選手を集めて「作戦会議」を開くなど、セの選手にひと泡ふかすべく、公式戦に劣らない熱量で準備をした。新聞も予想記事を書いた。
2022年のオールスターゲーム第1戦が行われた福岡PayPayドーム(現りそなPayPayドーム)=筆者撮影
江夏の9連続三振、江川の8連続三振など球史に残る名場面も
1951年の第1回から、1980年までの30年間ではパが45勝、セが33勝3分とパが大きく勝ち越していた。昭和の時代には「人気のセ、実力のパ」という言葉が定着していた。
昨年までの通算成績でも、パが91勝、セが81勝11分と、パが勝ち越しているが、少しずつではあるがセが差を詰めつつある。
一方で、投手の派手な記録は、セ・リーグの投手が残している。
1971年7月17日のオールスター第1戦では、阪神の江夏豊が9連続三振を記録、この試合ではセ・リーグがパ・リーグを相手に継投でノーヒットノーランを達成している。また84年7月24日の第3戦では巨人の江川卓が8連続三振を記録している。
1971年7月のプロ野球オールスター第1戦で先発の江夏豊が1回裏から連続三振を重ね、3回裏2死、9人目の打者・加藤秀司から三振を奪った瞬間(写真:共同通信社)
1984年のプロ野球オールスター第3戦 、8者連続で三振を奪ってきた江川卓だったが、9人目の打者となる大石大二郎に二ゴロを打たれ、惜しくも9連続奪三振を逃した(写真:共同通信社)
NPBのオールスター戦、最多選出は野村克也の21回、最多試合は王貞治の58回となっている。「真夏の球宴」として、オールスター戦は日本プロ野球でも重要なイベントとなってきた。
2021年のオールスターゲーム第2戦のスコアボード=楽天生命パーク宮城(現楽天モバイルパーク)筆者撮影
ただ、オールスターはあくまで「人気投票」に基づくものであり、実力をそのまま反映するとは限らない。
MLB日本人選手では、MLB79勝、日米通算203勝を挙げ、24年には日本の野球殿堂入りを果たした黒田博樹が、MLBでは一度もオールスターゲームに出場していない(NPBでは5回選出)。
あれほど盛り上がっていたオールスターが近年は…
近年オールスターは、日米ともにその価値、存在意義が薄れつつある。
その最大の要因は「インターリーグ」「交流戦」だ。
MLBでは、1997年、ア・ナ両リーグのチームがリーグの壁を乗り越えて対戦する「インターリーグ」が始まった。1994年95年MLB選手会が長期にわたるストライキを実施。MLB人気に陰りが出たのをきっかけとして導入されたのだ。
NPBでも2004年の「球界再編」を契機として2005年から「交流戦」が始まった。
オールスターの最大の魅力は、ポストシーズン以外では絶対に対戦することがない、両リーグのスター選手の顔合わせにあった。ファンの多くは「未知の対戦」を期待していたのだ。しかし「インターリーグ」「交流戦」が始まったことで、オールスターのゲームとしての「魅力」の大半は失われたと言ってよいだろう。
加えて、MLBでは、選手が長期的で大型契約を結び、球団、選手側ともに、怪我、故障のリスクを恐れて、公式戦以外の試合出場に消極的になった。
2021年のオールスターゲーム第1戦=メットライフドーム(現ベルーナドーム)(筆者撮影)
2006年から始まったWBC(ワールドベースボールクラシック)に、所属選手を出場させることにMLB球団オーナーが難色を示したのも「大型資産」になった選手の故障のリスクを恐れてのことだった。同様にオールスターゲームへの出場にも消極的になっている。
MLBではオールスターゲームの前日に「ホームランダービー」を1985年から実施している。両リーグの強打者たちの「打の競演」は、大きな人気だが、これも「故障」や「打撃フォームの崩れ」を恐れて、主力打者は出場しなくなっている。大谷翔平は2021年に出場したが、以後は辞退している。
また、MLBのオールスターゲームでは、投手はファン投票で選出せず、両リーグ監督の推薦などで選ばれる。選出されても出場できないケースがあるからだ。さらに近年はオールスターゲーム直前で登板した投手は、選出されても出場しないのが通例になっている。
MLBではオールスターゲームに出場することの意義はかつてに比べ、半減した。しかしオールスターに「選出されること」が選手にとって大きな栄誉であることは変わりない。選手のキャリアを紹介する際には、投打のタイトルに加えて「ASG(オールスターゲーム)選出回数」を記すのが通例になっている。
MLB選手の本音は「選ばれたいけど、試合には出なくてもいい」になりつつある。
日本ではオールスター戦は、NPB機構の主催であり、主たる収益の一つになっている。それだけにオールスター戦の価値、ステイタスを維持することは重要で、野球協約第86条には、
〈オールスター戦に選抜された選手が出場辞退した場合、選手登録は自動的に抹消され、オールスター戦終了後、10試合を終了する翌日まで、再登録することはできない〉
との条項がある。
ただ、アメリカ同様、日本でもその意義は近年薄れている。メディアがオールスター戦の戦前予想をすることはなくなったし、試合そのものも真剣みが薄れ、選手が「乱闘騒ぎ」の真似事をしてふざけるなど、緊張感がなくなっているのは事実だ。
それでも、プロ野球の発展の歴史を考えれば「真夏の球宴」は、歴史的な意義がある。
選手の負担を考えるなら、MLB同様1試合にしても良いから、日本プロ野球はその「価値」を高める努力をすべきだろう。