「武蔵村山市」に多摩モノレールの延伸でついに鉄道駅が誕生するが…「少しがっかり」地元住民が明かした「複雑な思い」

“駅なし”のまち・武蔵村山市に変化

東京都内の区と市で唯一“駅なし”のまち――武蔵村山市に、待望の“鉄道の光”が差し込もうとしている。

多摩センター駅(東京都多摩市)から上北台駅(東京都東大和市)を結ぶ「多摩都市モノレール」。この多摩都市モノレールにおいて、上北台駅からJR八高線・箱根ケ崎駅(東京都西多摩郡瑞穂町)までを結ぶ延伸計画が、着々と進行しているのだ。

この構想は2016年4月、“多摩地域の主要地区間のアクセス利便性向上に資するプロジェクト”として発足していた。そして昨年7月に多摩都市モノレール株式会社が軌道法に基づく運輸事業の申請を行い、今年5月には国土交通大臣から特許が交付。これにより約7kmの複線区間に7つの新駅を設けるという、総事業費・約1290億円の大規模計画が正式に推進段階へ移行し、2030年代半ばの開業を目指しているという。

この新7駅のうち実に4駅が武蔵村山市に位置するのである。

さて筆者自身、武蔵村山市民として6年間生活していた経験があり、多摩都市モノレールの恩恵を享受してきた。その経験から、延伸を歓迎する気持ちがある反面、終着先が箱根ケ崎駅というローカル色の強いエリアである点に、本当に地元住民にとってメリットがあるのか? という素朴な疑問も湧く。

“駅なし”のまち・武蔵村山市に変化, 「ついに武蔵村山に駅が!」ネットが沸いた, モノレールの新駅誕生は嬉しいがルートは……, 20代の本音「学生時代にできてほしかった」, 「頻繁に使うかは微妙」というリアルな声

photo by gettyimages

「ついに武蔵村山に駅が!」ネットが沸いた

SNSや地域系掲示板では、延伸のニュースが流れるや否や「ついに武蔵村山に駅ができる!」といった喜びの声が相次いだ。

《ずっとバスしか選択肢がなかったから、本当にありがたい》

《駅ができるだけで災害時の避難や救援ルートも増える》

一方でルート選定に関しては冷静な指摘も多い。

《箱根ケ崎に行っても八高線だから都心アクセスは微妙》

《西武球場前や所沢方面につながってくれたら利用価値が跳ね上がるのに》

総じてネットの反応は、“武蔵村山に駅ができる”という象徴的意味合いを評価しつつも、実際の利用頻度や費用対効果には疑問符をつける声が目立っているのである。

そこで今回は武蔵村山市民3名へ取材し、このモノレール延伸計画の“近辺住民たちのリアルな声”を紹介していきたい。

“駅なし”のまち・武蔵村山市に変化, 「ついに武蔵村山に駅が!」ネットが沸いた, モノレールの新駅誕生は嬉しいがルートは……, 20代の本音「学生時代にできてほしかった」, 「頻繁に使うかは微妙」というリアルな声

photo by gettyimages

モノレールの新駅誕生は嬉しいがルートは……

まず話を聞いたのは、武蔵村山市内でも西武拝島線/多摩都市モノレール・玉川上水駅(東京都立川市/東大和市)から徒歩20分ほどの場所に住む、60代の夫婦・男性Aさんと女性Bさんだ。今回の延伸計画について「最初に聞いたときは“やったー!”と思った」と声を弾ませた。

「頻繁に使うわけではないけれど、“陸の孤島”じゃなくなるのは嬉しいですよ。自分の場合は、市役所に行くときくらいしか使わないでしょうけど、新青梅街道沿いのルート沿いに住む方々は、もっと日常的に恩恵を感じるはずです」(Aさん)

とはいえ、今回の延伸ルートが上北台駅-箱根ヶ崎駅間だと知って少しがっかりしたと話すAさん。理想と現実をこう語る。

「本音を言えば、上北台駅から西武狭山線・西武球場前駅を経由して西武池袋線・西所沢駅に抜けるルートなら、都心の池袋方面に出やすくなって、いいなと感じていました。箱根ヶ崎駅までのルートよりも、利用者数も利用機会も増える可能性は高いのではないでしょうか。でも、自治体間の調整などもあって現実的には難しかったのでしょうね」(Aさん)

武蔵村山市に駅がないことを不便だと感じるか尋ねると、「もう慣れました」と即答。

「新築の一軒家を買った8年前は、駅がない分だけ土地の価格が他の市より安かったんです。でも今回の件で土地の価値は上がりそうですよね。その場合、固定資産税はどうなるのか……と、別の疑問も浮かびます」(Aさん)

一方、妻のBさんは立川市内へ車通勤。移動はほぼ自家用車で済ませるため、モノレールが延伸されても利用は限定的になるとのことだ。

「私が使うとしたら、延伸ルート付近にある『イオンモールむさし村山』へ行くくらいですね。ですがモノレールを利用して買い物に行くなら、立飛駅の『ららぽーと立川立飛』と移動時間は変わらなそうですし、後者のほうが駅直結で便利だと思います。そもそもの話をすると、買い物はけっきょく車が一番ラクです。モノレールは運賃も高いですし」

Bさんの話からもわかるように、当然ながらモノレールの利便性は住むエリアによって大きく変わるようだが、市内でも交通の便が比較的いい地域では、利用頻度はかなり限定されるようだ。

20代の本音「学生時代にできてほしかった」

では、延伸ルート沿い付近のエリアではどうだろうか。

続いて話を聞いたのは、自宅から最寄りの箱根ヶ崎駅までは自転車で30分ほどかかるという、武蔵村山市在住の20代男性・Cさん。

都心に出る際は自転車で30~40分かけてJR青梅線・昭島駅(東京都昭島市)まで行き、立川駅(東京都立川市)でJR中央線に乗り換えて新宿方面へ向かうそうだ。この場合の所要時間はおよそ1時間30分かかるという。

「自転車が重要な移動手段となるので、夏は汗だくになり、冬は手がかじかむ──駅が近くにない生活は、季節ごとに小さな負担が積み重なるんです。そんななか、モノレール延伸の計画が本格的に動き出したと聞きましたが、駅ができるのが何年も先ということで、“今さらできてもな”というのが正直な感想でした。ちょうど引っ越しを考えていた時期で、延伸が完成する頃にはもう住んでいないだろうと。2016年から構想されていたと聞き、学生時代にできてくれていれば理想だったなと思います」(Cさん)

とはいえ、延伸ルートについては一定の評価をしている。

「私の住む地区の人たちは、通勤通学でバスを利用する方も多いです。中央線ユーザーや西武線ユーザーもいますので、この延伸ルートでモノレールの駅ができれば、利用者は意外と多いのではないかと思います。いいルートだと感じました」(Cさん)

“駅なし”のまち・武蔵村山市に変化, 「ついに武蔵村山に駅が!」ネットが沸いた, モノレールの新駅誕生は嬉しいがルートは……, 20代の本音「学生時代にできてほしかった」, 「頻繁に使うかは微妙」というリアルな声

武蔵村山市に位置する六道山公園/photo by gettyimages

一方で、懸念も口にする。

「新青梅街道はもともとトラックなどの運搬車両が多く、平日も休日も混雑しています。大型トラックは右折の際に車線を大きくはみ出す必要があり、運転もしづらいです。工事で車線が規制されれば、さらに渋滞が悪化するのではないかと感じました。また、延伸ルートが完成したときに、バスの本数や路線変更がどのくらい影響するのかも気になります」(Cさん)

最後に駅がない不便さについて振り返ってもらうと、「もちろん不便だと思うけれど20年以上も暮らせば慣れます」と笑う。

「自動車免許を取得してからは車で移動することも増えました。ただ車は一家に一台だけなので、家族が使う日は争奪戦になり、自転車やバスで移動せざるを得なくなることも多いんです。都心のほうに住む友人に『遊びに来ない?』と突然誘われても、行くまでの面倒さで断ってしまうこともあります。

それから学生時代は、電車通学での“移動時間=勉強時間”が確保できない点もデメリットに感じていました。電車での通学であれば電車内で学習時間を確保できるので、より効率的に勉強できます。でも自転車通学の場合だと、ただの移動時間となってしまう。“塵も積もれば山となる”だと思いますが、もどかしかったです」(Cさん)

「頻繁に使うかは微妙」というリアルな声

あくまで今回の取材で話を伺った3名に限った話ではあるが、「駅ができることは歓迎」という一方で、「自分の生活で頻繁に使うかは微妙」ということが共通していた。

今回の上北台駅-箱根ケ崎駅間の延伸は、ルート沿線の住民やバス利用者にとって、利便性向上の期待が大きい。雨天時のバス遅延や、新青梅街道の慢性的な渋滞が緩和されれば、通勤・通学のストレスは確実に減るだろう。しかし、延伸先の箱根ケ崎駅は八高線の駅で、都心へのアクセスがいい中央線や西武池袋線への直結はない。生活スタイルによって評価は分かれているようだった。

“駅なし”のまち・武蔵村山市に変化, 「ついに武蔵村山に駅が!」ネットが沸いた, モノレールの新駅誕生は嬉しいがルートは……, 20代の本音「学生時代にできてほしかった」, 「頻繁に使うかは微妙」というリアルな声

photo by gettyimages

交通政策の観点でも、道路渋滞やバス遅延の緩和は期待できるが、工事期間中の車線規制や駅周辺整備による一時的な混雑など、短期的な負担も避けられない。新駅が近い住民には暮らしを変える大きな出来事となるだろうが、車移動が中心の住民にとっては「あると便利だけど、なくても困らない」といった程度の存在にとどまるのかもしれない。

――この延伸が単なる便利さの向上で終わるのか、それとも地域の生活や経済を本当に変えるのかは、開業後の利用状況と運用次第だ。鉄道が“あるだけ”では都市は変わらない。その可能性をどう活かすかが、2030年代の多摩地域の課題となるだろう。

(取材・文=逢ヶ瀬十吾/A4studio)