「82歳で"台所リフォーム"」最高の決断だったワケ

リフォームした台所で毎日自炊している髙森寛子さん、88歳(写真:書籍『85歳現役、暮らしの中心は台所』より、撮影:長谷川潤)
「使いにくい」と思い始めた70代
東京・文京区にある、築54年のマンション。ここに暮らすエッセイストの髙森寛子さん(88歳)が、奥行3メートル少々、縦長のちいさな台所をフルリフォームしたのは、82歳のときだった。
【写真】おしゃれで使い勝手抜群! “82歳でリフォーム”した「台所の中身」(10枚)
婦人雑誌の編集者を経て、ふだん使いの漆器を中心にした日本の生活道具のギャラリー「スペースたかもり」を主宰する髙森さん。仕事柄、伝統的な生活道具にこだわり、いろんなものを使ってみるようになって40数年あまり。
かなりの数の食器や生活道具は、46年前にマンションを購入したとき、造作で新設したものを含め、3台の食器棚と吊り戸棚に押し込んでいた。
「今のように“いらないものは捨てましょう”という時代ではなく、あるものすべてを収納するリフォームが流行っていたように思います」(髙森さん)
お見事! と言いたいくらいの収納力を誇る昭和の台所が、「なんだか使いにくいなあ」とぼんやり感じるようになったのは、70代の半ば頃だったという。

リフォーム前の台所。上にも下にも収納があった(写真:髙森寛子さん提供)
しかし今よりもさらに仕事が忙しく、体も元気だったので、「こんなものでしょう」と流してきた。ところがいよいよ80代に入ると、体の変化をごまかせない。吊り戸棚のものを取りだすために踏み台に乗るのが、怖いなと思い始めた。
「ちょうどその頃、私の少し上の世代の何人かがちょっと会わないうちに、車椅子生活になっていたんです。ご自宅を訪ねると、子どもたちが台所のシンクを低くしたり段差をなくしたりと、部分的に車椅子対応のリフォームをしていました。でも、なんだか働き盛りの若い人たちの視点なんですよね。シンクを低くしても、車椅子の人は、膝がキャビネットの扉に当たって蛇口まで手が伸ばしにくいと思います」
人はいずれ自由が利かなくなること、そしてそのためのリフォームには当事者であるシニアの視点が必要なこと。髙森さんは待ったなしの老いの現実を痛感した。

ガス台のそばに配膳スペースがないことも使いにくく感じていた(写真:髙森寛子さん提供)
髙森さんは常々、「病気になるとしたら夫のほう」と仮定的に思っている。同い年の夫が病気になったら、一番大事なのは食べることだ。素性のわかる食材で、夫がおいしく食べられるものを作るのは自分しかいないだろう。
そして、自分だって車椅子生活になるかもしれないという想定も、現実味を帯びてくる。そうなっても、できる限り、この家で夫と生きていきたいと思っている。
そこで、思い立ったのだ。

食器棚は大容量だが、奥のものは取り出しにくく、使わないままだった(写真:髙森寛子さん提供)
80代のリフォームで大事にしたこと
一般的に超高齢になると、あと何年使うかわからないからもったいないと、お金をかけてまでリフォームする人は多くない。しかし、目の当たりにした現実と未来への備えの必要性が、髙森さんの背中を押した。
「年寄りに待ったなし。毎日のことを大事にしよう」と自分が動けるうちに台所をリフォームしようと思い立ったのだ。
髙森さんが考えた改善点の方向性は3つ。
・車椅子でも動き回れる仕様にする →更なる老化に備える
・食器類や道具を取り出しやすくする →台所で過ごす時間を快適に
・配膳スペースを広げる →自分の作った料理を好きな器に盛って心地よく食べる
リフォームの依頼をしたのは、空間デザインやプロダクトデザインを行うデザイナー。
髙森さんの当初のイメージでは小さなリフォームだったが、話し合いを重ねる中で、部分的ではなく、台所全体をリフォームしたほうがいいという結論になった。
「費用は300万円前後だったと思います」
まず車椅子対応として、二層式シンクとガス台を撤去した。シンクは広々とした一層式に変え、幅と高さを髙森さんの体に合わせて決めた。シンク下(足元)を75センチ空ける。ガス台は正面壁面から右側の壁面に移動し、ガス台下(足元)を1メートル10センチ空けた。

リフォーム後の台所。シンク下はすっきりと空間が生まれた(写真:書籍『85歳現役、暮らしの中心は台所』より、撮影:長谷川潤)
「ガス台とシンクの下が空いているというのは、視覚的にもこんなに気持ちがいいものかと実感しました。椅子に座って洗いものなどをしても、膝がシンク下まで入るので動きが楽です。更なる老後で車椅子になっても、シンク下まで車椅子が入るはずです。風通しがよく、すみずみまで掃除機が届くのも助かります」
シニア視点の収納の工夫
40年あまり使ってきた3台の食器棚とシンクの上の吊り戸棚はすべて撤去。ガス台とシンク下の収納も、オープンスペースにしたことで消滅した。食器棚の上の吊戸棚は一部だけを残した。あるものすべてを収める“昭和の収納”は務めを終える。

シンクの反対側の壁は全面マグネットにし、道具やメモなどを貼っている(写真:書籍『85歳現役、暮らしの中心は台所』より、撮影:長谷川潤)
「もともと背が154センチと小柄でしたが、いつの間にかまた縮んでいるの(笑)。今まで吊り戸棚の下の棚には手が届いていたのに、それもあやしくなってきて……。膝より下にある収納からしゃがんで重い鍋を取り出して立ち上がるなんて、さらなる老後はもう無理です」
食器棚もしかり。奥のほうにしまい込んだ食器を取り出すのは、シニアにはどうしたって億劫だ。しかし、使わない食器があるというのはもったいない。
「“使わない”と“いらない”は違うんです」と、髙森さんは言う。
現在の使い勝手から老化の具合、ご自身の性分まで勘案して、どこに何があるか一目瞭然で、奥まで見える収納にしたい。
「そこで棚ではなく引き出しにしたいと考えて、食器棚があったスペースの腰から下を引き出しにしてもらいました。引き出しの中の仕切りは、収納する食器や道具、乾物類などのサイズに合わせて、100均ショップで購入した仕切り板や空箱を組み合わせて自分で作りました。大きな皿や重みのある焼き物は立てて収納します。椀も皿もできる限り重ねず、1つにつき1カ所の指定席を作ったわけです」

腰から下のスペースを食器用の引き出しに。お気に入りの器も一目瞭然だ(写真:書籍『85歳現役、暮らしの中心は台所』より、撮影:長谷川潤)
愛してやまない食器たちの一方で、吊り戸棚の中身はほとんどいらないものだった。捨てられなかった空き箱やプラスチック容器など、いつかこれがあると便利かも? と思わせるものが大半だったと苦笑する。
「若い頃は、収納スペースが多いと喜んだ吊り戸棚ですが、いつの間にかいらないものをしまいこむ場所になっていたということが、よくわかりました。だいたい本当にあると便利なものなら、もっと使いやすい場所にしまうはずでしょ?」
自戒をこめた髙森さんの問いかけに、思わずうなずく読者も多いのではないだろうか。
唯一残した吊り戸棚は、元の位置から約27センチ下げた。現在は152センチほどに縮んだ髙森さんが背伸びをすると、扉内の上の棚にやっと手が届く位置である。ここには重量がある鍋類も収納。

一部だけ残した吊り戸棚も、手の届く高さに(写真:書籍『85歳現役、暮らしの中心は台所』より、撮影:長谷川潤)
一般的なキッチン収納の基本は“重いものは低いところへ”だが、それは若い人たちの視点だと、髙森さんはいう。
「今の私はしゃがんで重いものを持って立ち上がるより、背筋を伸ばして上からおろすほうが体はラクですね」
ちょっとしたストレッチも兼ねて、台所にいる時間をより楽しんでいる。
思いがけず、自炊を大切にする暮らしに
ガス台につなげて作った引き出し収納の天板上が、そのまま念願の配膳スペースとなった。その長さ2メートル。ガス台の近くに器を広げて、できたての料理をすぐに盛り付けることができる。配膳スペース以外には、電子レンジやトースターも余裕で置くことができる。
引き出しから食器を選び、できたての料理を盛り付ける。その動線の快適さは、リフォームしてみなければわからなかった。
リフォームの翌年、髙森さんに思いもよらぬ展開が待っていた。夫に肝臓がんが発覚したのだ。
無事に手術を終えて退院した夫が療養生活に入った頃は、コロナ禍の外出自粛期間と重なっており、髙森さんもギャラリーを長期休業した。夫とふたり、自宅で1日を過ごす日々。そして83歳にして人生ではじめて、髙森さんは毎日3度の食事を作ることになったという。
夫の回復とコロナの終息を待つ日々が、新しい台所の改善点を存分に堪能できる日々となったのである。「我が家にとってはちょうど具合がいい時期だった」と、髙森さんは笑う。

作り置きでストックしているおかずと料理の材料たち(写真:書籍『85歳現役、暮らしの中心は台所』より、撮影:長谷川潤)

夫と2人でいただく夕食の様子。食卓の奥行きが狭いので横並びで座っている(写真:書籍『85歳現役、暮らしの中心は台所』より、撮影:長谷川潤)
60代や70代のときにリフォームしなくてよかった
その後、髙森さんはリフォーム内容やその後の暮らし方を『85歳現役、暮らしの中心は台所』(小学館)という1冊にまとめて、出版した。それからさらに3年が過ぎた現在も、髙森さんの暮らしの中心は変わらず台所である。
「今思うのは、60代や70代のときにリフォームしなくてよかったということ。だって80代とは体が全然違うから。そのときに使い勝手のいいようにリフォームしていたら、88歳の今、快適に楽しく台所に立てていたかどうかわかりません」
年をとるほど自分の優先順位は、世間の基準ともほかの人とも違ってくる。変わらないのは、今日も明日も「今が一番若い」ということ。
「さらなる老後を頭のどこかで案じつつも、一番若い今を居心地よく暮らしていきたいと思います」
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