「クルド人みんなが全員悪いと思わないでほしい」 友人も“強制送還”に…在日クルド人高校生が抱く思いとは

生まれて初めての記憶は入管, クルド人と日本人の不良グループ「外人會」, 「クルド人みんなが全員悪いと思わないでほしい」, 自分のことは「日本人」だと思っている, 強制送還されてしまった友人

サッカーチーム「FCクルド」には、少年をサッカーに熱中させることで非行を防ぐ役割も期待されているが…(撮影:室橋裕和)

最近のSNSでは、外国人がルール違反や犯罪行為をしている動画を、映っている人を根拠もなく「クルド人」と決め付けて拡散する投稿が多く見られる。

一部の在日クルド人が犯罪に手を染める場合があることも事実だ。一方で、学校に通いサッカーに熱中しながら健全に生きている高校生が、強制送還のリスクと背中合わせの状況にいる現実も存在する。

本記事ではジャーナリスト・ノンフィクション作家の室橋裕和氏が聞き出した、とある在日クルド人高校生の胸の内、そして取材中に起こった強制送還の事例について紹介する(本文:室橋裕和)。

生まれて初めての記憶は入管

少年サッカーチーム「FCクルド」と日本人チームの試合を取材した後日、選手に改めて話を聞かせてもらった。いまは高校生のAさんだが、親に連れられて日本にやってきたのは2歳のとき。

「その頃のこと、少しだけ覚えてるんですよ。入管に行くときの場面だと思うんですけど、車に乗せられてるとことか、入管の建物とか」

人生最初の記憶が、入管なのだ。親はそこで難民申請をしたのだろうか。しかし認められることはなく、一家はまだ「仮放免」のままだ。申請が却下されると再び申し立てをして、また仮放免になり……と繰り返すこと十数年。仮放免の状態では就労してお金を稼ぐことは許されない。父の兄が解体の会社を経営していて、その支援で暮らしているという。

そんな事情はまだ知らず、物心ついたときには埼玉県にいたAさんは、人懐っこい子供だったようだ。ひとりで公園に遊びに行って、お年寄りと仲良くなってはお菓子をもらったりするなど、あちこち歩き回っては知り合いをつくってくる子供だった。

「お母さんとスーパーに買い物に行くと、いろんな人が俺のこと知ってて声かけてくるんです。お母さんがびっくりして、あんた私より顔が広いねって」

だから小学校に入る頃には、日本語はすっかり話せるようになっていた。しかし読み書きはサッパリだ。

「小学校1年生のときのテストはヤバかった。問題になに書いてあるのか読めなくて」

それでも地域の日本語教室に通いはじめ、「マジいい人」という熱心な先生がいたおかげもあって、少しずつ読み書きも上達していく。仲のいい日本人の友達もできた。

しかし一方で「ガイジン、ガイジン」と呼ばれ、ひどいいじめも受けるようになる。よく殴られた。母と一緒にいるところを見つかり、何人かが自転車でAさんたちのまわりを取り囲んでぐるぐる走り回り、罵ってきたりもした。

クルド人と日本人の不良グループ「外人會」

中学校に入ってからもいじめは続いたが、あるときピタリと止んだ。

「外人會って知ってますか?」

そういう名前ではあるが、日本人と外国人でつくったヤンキーのグループらしい。Aさんは入っていないけれど、うわさに聞く限りではクルド人を中心とした外国人が2割、日本人が8割くらいの構成なのだとか。

2020年代に入ってからだというが、仮放免のしんどさ、言葉の不自由さなどからまっすぐに歩けなくなり、グレてしまい、日本人の不良たちに合流するクルド人が増えてきたのだ。

「日本人の中にはけっこうヤバイ人もいて、マリファナ吸ったり、バイクをパクったり」

外人會はおもに大宮や戸田あたりで暴れていたようだが、その話は川口にも広まっていく。「クルド人は外人會に関わっているからヤバイ」と若者たちの間で語られるようになる。

「だから実際には外人會なんか入ってないんだけど、いじめられてるクルド人が『俺のアニキ、外人會なんだけど』とか適当に言うと、日本人はビビッて手を出してこなくなるんですよ」

この外人會が方々で悪さをするようになり、地域で問題になっていく。川口あたりではたまにクルド人の悪ぶってる若者を見ることがあって、ファッションも髪型も日本人のヤンキーそのものだから、どうしてだろうと不思議に思っていたが、こういった理由があるようだ。

社会になじめなかった外国人の子供が、日本の不良グループと同化していく。そんな現象は昔からあった。たとえば90年代には、製造業の人手不足から日本政府が呼んだ日系ブラジル人の子たちが荒れて、日本人の暴走族やヤンキー集団に取り込まれていくケースが目立った。家庭環境や経済状況、言葉や文化の壁などから居場所の見つからない同士、共感しあうものがあるのだろうと思う。

「外人會、病院の事件のあたり(2023年)からチョーシ乗っちゃって。クルド人も親の車をパクッて暴走したり」

クルド人問題が大きく報じられる発端となった川口市立医療センターでの騒動(対立するクルド人グループ同士のイザコザ。100人規模のクルド人が集まり医療業務に大きな支障をきたした)を機に、外人會も目立つような犯罪を繰り返し、それがさらに報道されたりSNSで拡散されたりしていく。

「でも、捕まって少年院に行ったやつもいるし、警察が家にしょっちゅう来るからって親が怒ってトルコに帰したり、仲間が減っておとなしくなって解体の仕事やるようになったりして、外人會からクルド人は減っていったと思います」

一連のクルド人問題には、日本の不良たちや、彼らを生んだ社会環境もまた絡んでいるようだ。

「クルド人みんなが全員悪いと思わないでほしい」

警察の取り締まり、世間の厳しい目、クルド人自身の自戒もあってか、問題を起こすクルド人の子供たちは減っているとAさんは言う。しかし7月にはバイクに乗ったクルド人ふたり組による連続ひったくり事件が起き、犯人は逮捕されたが、またクルド人批判が巻き起こった。

「このふたり、小学校も中学校も同じなんですよ。なんでそういうことするかなって。ひとりはパトカーに爆竹投げたりして少年院に行って、出てきたばかりなのに」

一方でAさんはサッカーという打ち込めるものを見つけて、毎日FCクルドの練習に参加している。本当は学校の部活動にも入りたいのだが、練習時間がかぶってしまうこともあって、いまのところはメティン・アルスランボーガン監督のもとで汗を流している。

関連記事:「FCクルド」の取り組みと、埼玉スタジアム「旗」問題の真相 「仮放免」の立場でもサッカーに熱中する子供たち

生まれて初めての記憶は入管, クルド人と日本人の不良グループ「外人會」, 「クルド人みんなが全員悪いと思わないでほしい」, 自分のことは「日本人」だと思っている, 強制送還されてしまった友人

選手たちから慕われているメティン・アルスランボーガン監督(撮影:室橋裕和)

高校に入ってからは日本人の友達も増え、最近は気になる女の子とよく話をするようになってちょっと浮かれている。ごくふつうの高校生なのだ。

そんなAさんと、事件を起こしてしまうようなクルドの子たち。なにが違うのだろう。

「やっぱり、親かな。親がちゃんとしてないと子供も悪くなる。たとえば俺、夜遅く外に出ようとしたらお母さんにブチ切れられる」

そんなことを話している間にも、親からAさんに電話やメッセージが入る。

「いまどこにいるんだ、って。今日はインタビューがあるからちょっと遅くなるって話してあるけど」

美容院でとくに頼んでもいないのに眉毛をちょっと悪そうな感じに剃られてしまったときも、母に「バカ怒られた」と苦笑いする。

こうして怒ってくれる親がいないクルドの子もいる。ひったくり事件を起こしたふたりは、どちらも父親がいないのだという。

「ひとりはトルコに帰りたい、帰りたいって奥さんにずっと言ってて、すごく病んじゃって、公園で首を吊ったって。もうひとりはクルド人の奥さんと離婚してフィリピン人と再婚したんだけど、そのフィリピン人もどこかに行っちゃって、酒をすごく飲むようになって、なんかの薬のオーバードーズ(過量服薬)もあって、それで……」

2世の子たちに同情すべき面はたくさんある。それでも「悪いことをすれば捕まる。別にいいんじゃね?て思う」とAさんは言う。そして、日本人から厳しい目を向けられるのも当然だ、とも話す。

「だってそうじゃん。おかしいじゃん。病院で暴れて救急車を停めるとか。その中に急いでいる病人とかいるかもしれないじゃん。クルドが100パー合ってるなんてぜんぜん思わないし、やってることマジで恥ずかしい、子供。ここは日本なんだから日本のルールを守れよ、日本を汚くするなよ!」

そんなことをまくしたてる。

そして日本人には「でもクルド人みんなが全員悪いと思わないでほしい」ともうつむきながら訴える。

自分のことは「日本人」だと思っている

「俺はなんにも悪いことしてないし、日本のルールもマナーも守って暮らしているのに、なんで一緒にされて怒られないとならないんだろう」

Aさんはついつい気になってクルド関連のニュースを追い、SNSをチェックし、そこに殺到する憎悪のコメントを見ては苦しむ。

「最近ではクルド人はぜんぜん関係ないこともクルド人のせいにされてる」

たとえば南インド系のネパールかバングラデシュか、いずれにせよクルド・トルコ系の顔立ちとはまったく違う外国人が赤信号を無視して横断歩道を渡るシーンを撮影した動画に「ルールを守らないクルド人」のようなコメントをつけたものがTikTokなどに出回り、バズる。そのたびに肩身が狭くなるし、悲しくなる。

ルーツを異国に持ちながらも、人生のほとんどをこの国で暮らしてきたAさんは、クルドと日本の間で常にアイデンティティが揺れ、なにか事件があるたびにクルド人に対して怒り、デマやヘイトが巻き起こるたびに日本人に怒ってきたのだろうと思う。

そんなAさんに聞いてみた。自分自身は、ナニ人だという意識が強いのだろうか。

「日本人です」

即答だった。

「中学のときに修学旅行で京都と奈良に行ったんですよ。日本に来て、初めて埼玉から出たんです」

入管に特別に許可を得て、なんとか参加できた旅だった。

「もうヤバイ。これが京都なんだ、これが奈良なんだって、日本ってこんなにすごいんだって思った。まだまだほかにすごいところ日本にはたくさんあるでしょ。いろんなところに行きたいし、日本の歴史とか、いいところぜんぶ知りたい。勉強したい」

だから高校卒業後は大学に行くことが目標だ。クルド人の若者の中には、大学進学を機に、法務省の特別な審査や手続きを経て許可をもらい、「留学」の在留資格を得た先輩もいる。そうすれば自由に学べるし、アルバイトもできるし社会サービスも受けられる。

「将来はサッカー選手になりたいって前は思ってた。でもいまは、とりま日本にいたい。ビザ(在留資格)をもらって、この国で生きていけたらいいなって」

生まれて初めての記憶は入管, クルド人と日本人の不良グループ「外人會」, 「クルド人みんなが全員悪いと思わないでほしい」, 自分のことは「日本人」だと思っている, 強制送還されてしまった友人

毎日練習に励むFCクルドの子供たち。サッカーが心の支えという子は多い(撮影:室橋裕和)

強制送還されてしまった友人

ところでこの日は、Aさんの友達Bさんも一緒にインタビューを受けてもらう予定だった。しかし、連絡が取れないのだという。電話も出ない、LINEも既読にならない。SNSにも動きがない。取材が終わってもBさんからの応答はないままだ。

「あ、そうだwhooがあったんだ」

位置情報の共有アプリを立ち上げる。登録している友人がいまどこにいるのか、リアルタイムで地図上に表示されるのだ。Aさんの友達のアイコンはほとんどが川口や蕨周辺に密集しているが、Bさんのアイコンは遠く離れた場所にポツンとたたずんでいた。

「え、これどこ」

拡大していくと、それは東京・港区にある東京出入国在留管理局、いわゆる東京入管だった。

「8時間前からここにいるみたい」

どうも収監されてしまったようだ。その後、Bさん一家がトルコに強制送還されたとわかった。

2024年に入管法が改正され、難民申請を3回以上繰り返している人は強制送還される可能性があると明示された。この法律がいま、運用されはじめている。クルド人もちらほらと強制送還される一家が出てきている。

「俺、学校のサッカー部じゃなくてFCクルドに入ったのは、そいつと一緒のチームでやりたかったからなんです」

BさんもFCクルドの選手だったのだ。小学校の頃からの親友だったという。がっくりうなだれながら、Aさんは言う。

「もし俺が強制送還になったら、向こうでは学校に行かないって決めてる。だって高校生のこの歳で、トルコの社会もぜんぜん知らないしトルコ語もそんなにわからないし、小学校1年生とかと同じっすよ。恥ずかしくてたぶん逃げちゃう」

行ったこともない国に「送還」される子供たち。アイデンティティに悩み、苦しむ子供たち。犯罪に走る子供たち。その原因をつくったのは、子供たちの幸せがどこにあるのか考えてこなかった親であり、難民申請という制度を本来とは異なる形で使ってきた人々であり、あやふやな立場の集団を増やし続けてきたこの国の方策だろう。

■室橋 裕和(むろはし ひろかず)

ジャーナリスト、ノンフィクション作家。1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住し、現地誌で10年にわたり取材。帰国後はジャーナリストとして、「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマに活動。現在は新大久保在住で外国人コミュニティと交流しつつ取材を続ける。著書に『カレー移民の謎』『ルポ新大久保』『北関東の異界』『バンコクドリーム』など。