「あの人、男ですよ」密告電話が転機になった佐藤かよ「残った人を大事にしよう」と21歳でカミングアウトを決意するまで
18歳でモデルデビューし、女性ファッション誌などで注目を集めた佐藤かよさん。21歳のときには、テレビ番組で自身がトランスジェンダーであることを公表し、大きな話題を呼びました。華やかな舞台の裏で揺れていた葛藤や不安、そして公表後に芽生えた思いとは── 。(全3回中の2回)
事務所にかかってきた1本の電話

佐藤かよ
18歳からモデルとして活動する佐藤かよさん── 佐藤さんが、芸能界に入ったきっかけは何だったのでしょうか?
佐藤さん:芸能界に入ったきっかけは、スカウトです。当時は女性としてショップ店員をしていました。ショップ店員として、雑誌のスナップ写真に載ったことがきっかけで、芸能事務所に声をかけられたんです。そこからモデルとして、地元である名古屋を拠点に活動をするようになりました。
── 当時は女性として活動をされていたんですか?
佐藤さん:はい。当時は、自分が男性であることを誰にも伝えていませんでした。友達にも、仕事先にも言っておらず、女性としてモデルの活動をしていたんです。「隠していた」と言えばそうなのかもしれませんが、言うタイミングがなかったというのが正直なところです。それに「言っても意味がないかな」とか「わざわざ言う必要もないな」という気持ちもありました。
── トランスジェンダーであることを周囲に伝えたのは、いつですか?
佐藤さん:東京での仕事が増えて、モデルとしてメディアにもたくさん出るようになったころです。ある日、事務所に「あの人、男ですよ」という密告の電話がかかってきたんです。それで、社長に性別のことがバレました。
「またか...」というあきらめを抱くも
── 学生のときも、佐藤さんの勤務先に「あの人、男ですよ」って密告の電話があったとおっしゃってましたよね。そんな電話をしてくる人がいるんですね…。
佐藤さん:いますね。このときもまたか…。という感じでした。がんばったり、自分のやりたいことが形になりそうになると、決まって足を引っ張ったり、意地悪をしてくる人が出てくるんです。幼少期からそんな経験ばかりでした。
でも、母に相談したら「逆に、今が言うタイミングなんじゃない?」って言ってくれたんです。母は、過去にも私がトランスジェンダーであることを密告されたり、傷つく場面をずっと間近で見てきました。今までは隠しながら、薄氷の上を歩くような毎日を送っていたけれど、そんな状態はいつまでも続けられない。社長にだけでも話してみたら?って背中を押してくれました。それで社長とマネージャーに相談することにしました。
── その後、どうされたんでしょうか?
佐藤さん:社長は最初は驚いていましたが、事情をしっかり理解してくれて。今まで通り女性としてモデルの仕事を続けることになりました。そこから「これを機に世間に公表してもいいんじゃないか」という話になりました。それで、社長とマネージャー、私の3人で、何度も本当に長い時間をかけて話し合いをしました。事務所の人は私の気持ちを何より大切にしてくれました。そうしたやり取りのなかで、公表することを決めました。
── 公表することに、葛藤などはなかったですか?
佐藤さん:もちろん、ありました。すごく悩みましたし、自分のなかでは「公表しよう」と決めてからも、不安はずっとありました。やっぱり、周りの人たちがどう受け止めるのか考えると怖かったんですよね。それで、また母に相談したんです。そしたら母は「公表することで、離れていく人もたくさんいると思う。でも、少ないかもしれないけど、残ってくれる人もいる。そうしたら、その残った人を大切にしていけば、きっと幸せな人生を送れるんじゃないかな」って言ってくれたんです。
「残った人だけ大事にしよう」

佐藤かよ
モデルとしてさまざまな衣装を着こなす── ステキな言葉ですね。
佐藤さん:はい。今まで私は、何をしても「普通じゃない」と言われて、ひどいことを言われたり、無視されたりしてきました。でも、何より怖かったのは、本当の自分を出すことで人に嫌われたり、周囲の人が離れていってしまうことでした。そんななか、母のその言葉を聞いて、気持ちがふっきれたんです。「残った人だけ、大事にすればいいんだ!」って。そう思えたことで、「公表しよう」と思えるようになりました。
当時は、うまくいくかどうかとか、公表して何が変わるのかとか、そこまで深くは考えていませんでした。ただ、それまで本当の自分を隠してきたことで、たくさん傷ついてきたんです。だったらもう、今の自分の気持ちに従おう。そう思ったんです。
── 自分のなかで覚悟がついたんですね。
佐藤さん:はい。もちろん、公表するかどうかは本当に人それぞれで、自由なものだと思います。でも私は「もう隠さなくてもいいかな」と思って、性別を公表することにしました。失うものはなかったし、何より、密告されたり、ずっと隠し続けて生きてきたことに疲れていたんです。
── 公表後はどうでしたか?
佐藤さん:反響はすごく大きかったです。でも、きちんと公表したことで、逆にお仕事は増えました。もちろん、離れていく人もいましたし、徐々にフェードアウトしていった人もいます。でもそれって、別にカミングアウトに限ったことじゃないですよね。人間関係では、よくあることだと思ったんです。人に嫌われることを怖がっていたら、自分のいいところまで出せなくなってしまう。そう気づいて、「みんなに好かれようとするのは、もうやめよう」って決めました。
── マインドが変わったんですね。
佐藤さん:はい。気持ちがふっきれてからは、本当に環境も変わりました。理解してくれる人がたくさんいることに気づいたんです。その後、名古屋から東京の事務所に移って、芸能活動の幅は広がっていきました。「残ってくれた人を大切にしよう」って、心から思いました。公表したあとも、がんばろうとすると意地悪をする人は出てきました。でも、「こんなことで止まらない」と必死に乗り越えていくうちに、結果的にはいい方向に進むこともあるんだと実感しました。そんな感じで、20代はとにかく仕事に全力を注いでいましたね。

佐藤かよ
トランスジェンダーを公表後、メディアに出演していた当時── 当時、いろんなジャンルのお仕事をされていたように思います。
佐藤さん:基本的には来た仕事にはなんでも挑戦しました。大きな目標があったわけではなく、ただ目の前のことに必死に取り組む毎日でした。もともと好奇心がすごく強かったんです。いろんなジャンルのお仕事を経験できて、楽しかったですね。お仕事を通じてたくさんの経験を積めたことには、今も感謝しています。
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モデルやタレントとして多くの経験を積んできた佐藤かよさんは、20代から海外を頻繁に訪れ視野を広げてきました。異なる文化や価値観に触れるなかで感じたことは「どの国に行っても、人間の悩みの本質は変わらない」ということでした。結局、海外に行っても自分のことを理解してくれる人がたくさんいるわけではない。だからこそ、自分を理解して、認めてあげられるのは自分しかないと気づき、「自分だけは自分の敵にならないでいよう」という思いが強く芽生えたそうです。
取材・文/大夏えい 写真提供/佐藤かよ