キリスト教系聖隷クリストファー高校の讃美歌校歌には好意的コメントが多かったのに、なぜ京都国際高校の韓国語校歌には罵倒ばかりだったのか

夏の甲子園を終えて

2025年夏の全国高校野球選手権は、沖縄尚学高校の初優勝で幕を閉じた。今年は猛暑に配慮した大会運営が行われたことが話題になったが、一方で広陵高校の途中出場辞退などの問題も持ち上がった。

さらに、強豪校京都国際高校対し、SNS上で差別的な投稿が相次いだこと大きな問題となった。これを受けて、京都府などは、そのうち特に悪質なものを削除するよう京都地方法務局に要請したと報じられている。

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同校は韓国系の民族学校をルーツとしているが、学校教育法第1条で定めれたいわゆる「一条校」である。しかし、校歌が韓国語であることから、試合中継のたびに「朝鮮へ帰れ」「日本の大会にふさわしくない」といった投稿が見られた。

一方で、同じ大会に出場したキリスト教系の聖隷クリストファー高校(静岡県代表)には「校名がかっこいい」「賛美歌の校歌が美しい」といった好意的なコメントが多く寄せられた。なぜ、他国文化の影響をもつ両校に対する評価がこれほどまでに対照的だったのだろうか。

言語と「異質性」の可視化

京都国際高校への否定的反応の背景には、言語が持つ象徴性がある。言語は単なる意思疎通の手段ではなく、文化的アイデンティティの象徴となる。心理言語学の研究では、母語以外の言語を聞いたときに「心理的距離」や「警戒心」が高まることが知られている(Giles & Coupland, 1991)。

韓国語の校歌は、多くの視聴者にとって「理解できない言葉」として響き、異質性を強く意識させることとなった。K-POPがこれだけ日本で受け入れられていても、高校野球に一番熱狂する世代と、K-POPを支持する世代が明確に異なるからだろう。

これに対し、聖隷クリストファー高校の賛美歌は、日本語だったこともあり、異質とは受け取られず、「西洋文化」「おしゃれ」としてポジティブに受け取られ、異質性が肯定的に受け取られた。過去には、レゲエ風の校歌を持つ高校も話題となったが、その際もおおむね好意的な受け止めだった。

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内集団バイアスと「内輪の文化」への脅威

もう一つの重要な要素は、高校野球という文化的文脈である。夏の甲子園は「日本の高校生が日本の伝統の中で競い合う」ことを強調した内向きの文化空間であり、観客やメディアにとって「日本的であること」が暗黙の規範となっている。

根性論や坊主頭、純粋さ、礼儀正しさ、ひたむきさなどが賞賛されるのは、古くからの日本の美徳であるからだ。

社会心理学では、内集団が重視する文化的空間に外集団の特徴が持ち込まれると、「規範違反」として拒否反応が起こりやすいことが知られている(Brewer, 1999)。韓国語の校歌は、「内輪の場」における「外の文化」の象徴として認識され、「排除すべき異物」とみなされてしまったのである。

象徴的脅威と歴史的感情からくる無意識バイアス

さらに、京都国際への否定的感情が特に強く表れるのは、韓国という国や民族に対する歴史的対立感情が絡むためだといえる。象徴的脅威理論(Stephan & Stephan, 2000)は、外集団の価値観や慣習が自集団のアイデンティティを脅かすとき、人々が強い敵意を抱くことを説明する。

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韓国語というシンボルは、もともと韓国に対して否定的感情を抱いている一部の人々において、日韓関係の緊張を想起させ、「ただの校歌」ではなく、「日本への挑戦」といった過剰な意味づけがなされ、攻撃的な言動が正当化される構図が生まれたのかもしれない。

こうした差別的反応の多くは、無意識のバイアスとして現れる。人々は「差別しているわけではない。ただ伝統ある日本の大会では日本語で歌うべきだと思うだけ」などと主張する。このように、人は自分のバイアスを「常識」「規範」の名のもとに正当化する(Kunda, 1990)。

差別を克服するために

差別や偏見を克服するには、まず自らの無意識バイアスに気づくことが不可欠だ。自分の偏見を認識し、批判的に省察することは差別的行動を抑制する第一歩となる。

また、心理学の「接触仮説」(Allport, 1954; Pettigrew & Tropp, 2006)が示すように、異なる文化背景を持つ人々とのポジティブな接触は偏見を顕著に減少させる。これは、K‐POPを支持する若い世代において、韓国への偏見が非常に少ないという事実がその「効果」を示している。

甲子園という全国的イベントは、本来、多様な背景を持つ高校生の努力を称え、共生の象徴となる場であるべきだ。何よりも、高校野球はスポーツ教育の場であるからだ。

韓国語の校歌も賛美歌の校歌も、同じように選手たちの誇りであることを認められる社会こそが、真に成熟した「スポーツ文化」を育むといえる。

京都国際高校への差別的投稿の背後にある心理を理解することは、「差別はいけない」という単なる非難に終わらず、なぜこうした感情が生まれるのか、どうすれば解消できるのかを考える手がかりを与えてくれる。

私たちはこれを夏の終わりとともに忘れ去るのでなはなく、改めて自身の心の中を見つめ直すよすがとしたい。

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参考文献

・Giles, H., & Coupland, N. (1991). Language: Contexts and consequences. Open University Press.

・Brewer, M. B. (1999). Journal of Social Issues, 55(3), 429–444.

・Stephan, W. G., & Stephan, C. W. (2000). An integrated threat theory of prejudice. In Reducing Prejudice and Discrimination, 23-45.

・Kunda, Z. (1990).Psychological Bulletin, 108(3), 480–498.

・Pettigrew, T. F., & Tropp, L. R. (2006). Journal of Personality and Social Psychology, 90(5), 751–783.