誰もいない場所へ──万字線廃線跡を巡る、クロニクルなバイク旅
誰もいない場所へ──万字線廃線跡を巡る、クロニクルなバイク旅
バイクに乗りたいけれど、行き先が決まらない。そんなときはありませんか。人気のスポットは渋滞と人混みで疲れるだけ。週末がかえってストレスになることもあります。だからこそ、誰もいない場所を目指したくなる。そこでおすすめしたいのが、過去を旅する「クロニクルなツーリング」。
北海道・空知地方にかつて存在した国鉄万字線。その廃線跡をバイクで静かにたどる旅に出ました。静けさの中に、時間の記憶が確かに息づいています。
かつての炭鉱鉄道が残したもの
万字線(まんじせん)は、室蘭本線・志文(しぶん)駅から分岐し、万字炭山駅までを結んでいた全長約23.8kmの路線です。大正時代、沿線に点在する炭鉱から石炭を運ぶ目的で敷かれ、貨物列車が頻繁に往来していました。
名前の由来は、終点近くの万字炭鉱と、その経営者・朝吹家の家紋「卍(まんじ)」に由来。昭和中期までは沿線に労働者の町が広がっていましたが、エネルギーの主力が石油に移り変わると炭鉱は衰退。万字線も1985年に廃止されました。現在、線路の多くは遊歩道や農道に変わり、一部のホーム跡や鉄橋が、ひっそりと残されています。
志文駅──静かな出発点
ツーリングの出発点となる志文駅。現在の駅舎は簡素な造りに建て替えられていますが、跨線橋だけは当時のまま残されています。上下線のホームが大きく離れているのは、かつてここに広がっていた広大な操車場の名残です。構内には草が伸び放題で、往時の賑わいを感じさせるものはほとんどありません。それでも線路脇に立つと、いつかのように石炭を積んだ貨車がやってきそうな気がしてなりません。
上志文駅跡──スキー場のそばの静けさ
次に立ち寄ったのは、上志文駅跡。周囲は田園風景が広がり、近くには今も営業を続けるスキー場があります。札幌駅からスキー列車が発着していたホーム跡は雑草に覆われ、時間が止まったようです。線路跡は農道へと姿を変え、鉄道だった痕跡は、意識しなければ見落としてしまいそうです。
朝日駅──鉄道公園に残る記憶
朝日駅周辺には、かつて炭鉱住宅が立ち並び、学校や商店も存在していました。今では「万字線鉄道公園」として整備され、ホームや駅名標、踏切、車止めなどが静かに保存されています。
園内にはB20形蒸気機関車も展示されており、炭鉱最盛期を生きた鉄道の姿が、わずかに感じ取れます。池のほとりでは、近所の男性が食パンを手に、鯉に餌を与えていました。人の営みは去っても、誰かが今もここで生きている。そんな実感がありました。
美流渡──かつての主要駅と謎めいたカフェ
美流渡(みると)地区は、北星炭礦美流渡礦専用鉄道が分岐していた重要拠点でした。現在、駅舎は取り壊され、バスセンターが建っています。鉄道の痕跡はほとんど残されておらず、少し拍子抜けします。
そのまま通り過ぎようとしたとき、視界の片隅に矢印の看板が現れました。好奇心に導かれるまま進むと、突然、目の装飾が施された古民家カフェ「おめめくらげ」が姿を現しました。
2025年5月にオープン。店名は、つげ義春の漫画『ネジ式』に登場する「メメクラゲ」に由来しており、外壁にあしらわれた無数の目玉が、その独特な世界観を象徴しています。遠目には古びた日本家屋に見えるものの、近づけば木の壁や雨戸、瓦屋根の軒先に大小さまざまな“目玉”が点在しており、どこか現実離れした空気をまとっています。
瞬きひとつせずこちらを見つめるその視線は、まるで建物そのものが意思を持ち、生きているかのような錯覚を与えます。
店内に足を踏み入れると、薄暗い照明の下に、どこか懐かしくも非現実的な空間が広がります。昭和レトロな家具や、見たことのない古道具が隙間なく並び、壁には前衛的な絵画が無造作に掛けられています。天井からはクラゲを模したランプが柔らかな光を放ち、棚やテーブルの隅々には、いつの間にか「目」がひっそりと潜んでいます。
「おめめくらげ」は、まるで異世界に迷い込んだようなアングラ感に満ちた場所。その空間はあまりにも異質で、長く留まっていると、もう“こっちの世界”には戻れなくなってしまいそうな危うさすら感じました。
営業時間
土曜日 11:00~20:00
日曜日 11:00~16:00
毎月最終月曜日(ツキイチ) 11:00~16:00
おめめくらげ## 万字駅──小さな郵便局に転生した終着駅
次に訪れたのは、終着駅手前の万字駅。万字線の名前の由来となったこの場所には、かつて中規模の駅舎と貨物施設がありました。現在、旧駅舎は「万字仲町簡易郵便局」として再利用されており、ホームや階段の一部が今も残っています。
万字駅は「お菊人形」で知られる萬念寺の最寄り駅でした。お菊人形の由来は、大正末期に亡くなった少女・菊子が愛した日本人形に髪が伸び始めたこと。家族は娘の霊が宿ったと考え、萬念寺に人形を預けました。現在も大切に保管され、髪は人間のものと判明していますが、伸び続ける理由はわかっていません。
万字炭山駅──静かに自然へ還る終着点
旅の終点、万字炭山駅。駅舎はすでに取り壊され、跡地は草木に飲み込まれています。かつての面影はほとんど残っておらず、セミの声だけが静かに響いていました。この先に線路はなく、炭鉱の終わりとともに鉄道もまた、静かに幕を下ろしたことを実感します。
錆びたレールの向こうに、確かにあった時間
誰もいない場所には、言葉にできない気配があります。静まり返ったホーム、草に埋もれたレール、色あせた看板や階段。それらは過ぎ去った時間の名残を静かに語りかけてきます。バイクを止めて耳を澄ませば、どこか遠くで汽笛が聞こえたような気がしました。