「こんなはずじゃなかった」女性たちへ――中園ミホが『あんぱん』に込めた思い

脚本家・中園ミホさん 写真提供:NHK

朝ドラこと連続テレビ小説『あんぱん』(NHK)の放送も残り1カ月。脚本家・中園ミホが、全130回の脚本を書き上げた。やなせたかしと少女時代に文通していた縁から始まった執筆は、史実とフィクションを行き来しながら、軍国少女として生きたヒロイン・のぶや嵩たちの長い物語へ――。戦争と女性の人生、そして創作の舞台裏を聞いた。(ライター 木俣 冬)

最終回のアイデアは

100通りの案から選び抜いた

 朝ドラこと連続テレビ小説『あんぱん』(NHK)の放送もあと1カ月。脚本家・中園ミホさんは7月下旬、無事最終回まで書き上げた。

 それまで大好きなお酒をセーブして、ひたすら執筆に打ち込んでいたが、ようやく思いきり飲めたと微笑んだ。

「以前から仲良しのくらばあ(浅田美代子)と、二日酔いするくらい飲みました。『あんぱん』執筆中は警戒しながらたまに飲んでいましたが、やっと大変楽しく飲めました」

 最終回のアイデアは100通りもの膨大な案から選び抜いた。いったいどんなエンディングを迎えるのか楽しみにするとして、少女時代、やなせたかしさんと文通していた縁から『あんぱん』を執筆することになった中園さんに、物語や登場人物に込めた思い、そしてやなせたかしさんのことを振り返ってもらった。

「嵩(北村匠海)に関しては、よく知っている大好きなやなせたかしさんのことを書けばいいというおもいでしたし、あまり苦労はなかったです。

 でも今回主人公のぶ(今田美桜)のモデルにした暢さんに関しては、当初、5つぐらいしか情報がなくて苦労しました。

 子どもの頃にお父さんを亡くされたこと、『はちきんおのぶ』と呼ばれていたこと。高知新聞社でやなせさんと出会ったこと、高知新聞で広告費を払わない人にハンドバッグを投げつけたこと。中年以降、山登りが好きだったこと……記録に残っていたエピソードがそれくらいしかなかったのでこれはほぼフィクションで作らせてもらおうと覚悟を決め、まずは大正生まれの女性たちの手記や作文を読みあさりました」

 そこでぶち当たったのが、当時の少女は戦時中、ほとんど軍国少女化していたことだった。

軍国主義に染まったヒロインを

描くことにした理由

「朝ドラのヒロインは比較的、反戦を訴えることが多いですが、『あんぱん』ではあえて、軍国主義に染まったヒロインを描くことにしました。私が読んだ当時の手記ではきちんと教育を受けたほとんどの女性が、軍国少女になっていたからです。

 脚本家の橋田壽賀子先生、ファッションデザイナーの桂由美さん、作家の田辺聖子さん……皆さん日記を残していて、それを読むとどれだけ軍国主義一色に染まっていたかがよくわかるんですよ。昭和8年(1933年)生まれの私の母も、聞けば、やはりそうでした。純粋な人ほど染まりやすいのでしょうね。

 その純粋な人が終戦を迎えたとき、一回自分を全部塗りつぶすような体験をする。それがどれだけ苦しかったか、そこを描く私も苦しかったです。

 それでも私は、軍国主義を唱える人が当時は大半だったということを、現代に生きる人たちに知ってほしかった。そんなふうに人を変えてしまうからこそ戦争は恐ろしいと思うんです。

 戦争に勝つと信じて子どもたちを教育するのぶのセリフを書きながら、今田美桜さんにこういうセリフを言わせていいのかなと心配にもなりましたが、よく頑張って演じてくださったと感謝しています」

 終戦後、のぶは夫の次郎(中島歩)を亡くし、新聞記者、代議士秘書と職を変えながらひとりで生きていく。それからようやく嵩と気持ちが通じ合うまで、ずいぶんと長い月日が経過した。

「史実ではやなせさんと暢さんは高知新聞社で出会って結婚します。だからオリジナル要素の多いドラマとはいえ、それ以前に結ばれてはいけない。そこは守りつつ、でも私は今回、どうしても二人の子どもの時代から描きたくて、幼馴染設定にしました。

 共に戦争という大きなものを乗り越えていくようにしたかったからです。ふたりそろって戦争で価値観がひっくり返る経験を味わうことを描きたかった。

 幼い頃から近くにいるにもかかわらず結ばれないようにするのは一苦労。浅田美代子さんからも『嵩は何やってるの』とじれったがられましたが(笑)、あれこれと工夫をして高知新報に入るまでは結ばれないようにしました。

 のぶがついに嵩のことを『嵩の二倍、嵩のこと好き!』と抱きつく場面では、オンエアを見たとき、号泣してしまったんです。脚本を書いたときは泣かなかったのに。それまでのぶに本当に辛い思いをさせてきたので、やっと子どもの頃の自由で天真爛漫だった自分に戻れたことを、心から良かったね、おめでとう!という気持ちになったのだと思います。

 今田さんと北村さんの演技もすばらしかったです。私が想定していたよりも爆発力みたいなものがあって感激しました」

同窓会で女性たちが口にする

「こんなはずじゃなかったのに……」をちゃんと描きたかった

 ようやく幸せになったように見えたのぶだったが、嵩が作家として大成していくにつれて、自分の存在を見失っていく。「みんな、お父ちゃんに言われたとおり、自分の夢を追いかけて、ちゃんとつかんだ。うちは何しよったがやろう」(第103回)とまさに「なんのために生まれてきたのか」と悩む。

 モデルである暢は高知新聞社での活躍などを見るに颯爽とした職業婦人のようだ。なぜのぶをうまくいかずに悩む人に描いたのかと聞くと、中園さんは「すごくありがたい質問で……」とのぶに託した思いを語りだした。

「多分、誰もが、一生懸命生きてきたのに、あれ、こんなはずじゃなかったのに……と思う瞬間があるのではないでしょうか。のぶみたいな女の子は私の周りにもたくさんいました。

 みんな、なりたいものを夢見ていたけれど、結局、結婚して、夫や子どもを支える人になってしまいます。同窓会に出ると、皆さん、そんなことを口々に言うんですよ。真面目に一生懸命生きてきた人ばっかりなのに。そんな女性たちの心の叫びをちゃんと描きたいと思ってのぶにそのセリフを言わせました。

 自分は何者にもなってないというふうに悩む女の人は実はすごく多いと私は思っていて。暢さんはやなせさんのことも支えながら、お茶の先生になったり山に登ったり、やりたいことをやっていたと思いますが、広告費を払わない人にハンドバッグを投げつけていた時代と、お茶の先生をしながら山登りをしている時代とではキャラがいくらか変わっている気がするんです。

 結婚後はずいぶんおしとやかになったのではないかと私は感じました。陰でやなせさんを支えることに一生懸命になって、表に出てこなくなっているんですよね。

 脚本を書くにあたり、暢さんのことを知っている人になんとか取材しようと試みたのですが、やなせさんと同じマンションに住んでいて、やなせさんの評伝を書いたノンフィクション作家の梯久美子さんも、やなせさんと交流の深かったアンパンマンの声を担当した戸田恵子さんも、暢さんとほとんどお会いしたことがないそうです。

 そういう話を聞くと、意識的に表には出ていかなかったのだろうなぁと。だとしたら、何者にもなれなかったことを反省することもあったのではないかと考えました。

 そこで、ドラマののぶに、少女時代、お父さん(加瀬亮)に女の子だって大志を抱いていいと言われたことを自分は叶えられただろうかと、立ち止まって考えさせました」

「明るく真っ直ぐなヒロインは

あんまり興味がないし描けない」

 暢さんがこのドラマののぶを見たらなんて言うと思いますか。中園さんに聞いてみた。

「いやいや、全然違うじゃないですかと言われるかもしれません(笑)。ドラマの都合で幼馴染みにさせてもらったりもしているのでね。

 でも、やなせさんが小さいときに気が弱くて男の子とは遊ばず、気の強い女の子と遊んでいた話はやなせさん本人から伺いました。私はそれをのぶちゃんにしちゃったんです」

 速記ができてカメラで撮影もできた暢さん。記録に残った暢さんの写真は知的で颯爽としている。やなせさんも暢さんの能力を買っていたようだ。

 暢さんは自分の夢よりやなせさんを支えることを選んだけれど、もしかしてあり得たかもしれない別の自分に、時々、そっと思いを馳せることもあったかもしれない。『あんぱん』ののぶは、日本、いや世界中に存在する夢をどこかに置き去りにしてきてしまった女性にそっと寄り添うキャラクターなのだろう。

「私が描くものは朝ドラ系のキャラクターじゃないという自覚はあるんです」

 中園さんは言う。「明るく真っ直ぐなヒロインはあんまり興味がないし描けない。そんな私に朝ドラを任せてくれて本当にありがたかったです」

 中園さんが言う朝ドラらしからぬキャラの最たるものは登美子(松嶋菜々子)だ。嵩を捨てて再婚し、たまに現れては言いたい放題。自由奔放にもほどがあるキャラクターだ。

「オンエアを見ているうちに、さすがにこれはお茶の間の皆さんに不評を買うのではないかと心配になってきて、途中から少しいい母親に路線変更しようとしたんです。

 そうしたら、松嶋菜々子さんが『私は、登美子が死ぬまでこのままでいきたい』と監督を通じて言ってくださって。思いきりそっちに振り切れるようになりました。登美子くらい振り切れていると書いていて気持ちよかったです。

 登美子が好きという女性視聴者の声をよく聞くので、書いてよかったと安堵しています」

松嶋菜々子さんこそ“国宝”

江口のりこさん演じる羽多子も好きなキャラ

 松嶋菜々子さんのことを中園さんは絶賛する。大ヒット作『やまとなでしこ』のヒロインをやっていただけあって、松嶋さんの演じる小悪魔的なキャラは完成度が高い。

「私、松嶋さんこそ“国宝”だと思っています。大好きな女優さんです。彼女のセリフをまた書けてすごく嬉しかったし、登美子のセリフはよどみなく出てきます。

 実際、やなせさんのお母様も周りから陰口を叩かれるような方だったらしいんですよ。香水の匂いが強くて、派手好きな。多分、やなせさんのお母様はドラマを見ても怒っていないんじゃないかなと思います(笑)」

 羽多子(江口のりこ)も好きなキャラだという。

「実は羽多子がすごく好きなんです。とくにお気に入りのシーンは、赤いバッグを自分に貰ったと思うリアクションが最高でした。

 当初はもう少ししっかりしたお母さんを想定していたのですが、私はおもしろいことが好きなのでつい書きたくなって書いてしまったら、江口さんが意図を的確に汲んでやってくれて、しかもより面白くしてくれました」

 仲良しの浅田美代子さんのくらばあも当然大好き。

「くらばあが、登美子が3回も結婚していると知って『3回』『3回』とずっと繰り返しているのを、その度に羽多子がたしなめているシーンが好きなんです。ふたりとも端っこにしか映ってないのに、ふたりが言ったりやったりしそうなことを付け足してくれて。キャラクターを育ててくれたと感謝しています」

 こうして見ると、一筋縄ではいかない女性が多い『あんぱん』。もうひとり気になるのは蘭子(河合優実)だ。のぶとメイコ(原菜乃華)は結婚したが、蘭子だけは豪(細田佳央太)に「一生分の恋をした」と言っている。彼女はこのままひとりで終わるのだろうか。

「蘭子と豪ちゃんがあまりにも人気で、豪に生きて帰ってきてほしいと複数の人に言われるほど。俳優さんの演技の素晴らしさがそう思わせているのだと思います。でも蘭子をなんとか幸せにしてあげたいですね」

 蘭子の物語も動き出しそうだ。

130回書くことで改めて痛感した

「やなせさんを描くことは戦争を描くこと」

 やなせたかしさんの史実をベースに、やなせさんをモデルにした嵩を取り巻く人々が自由に生き生きと描かれた。これを見てやなせさんはどう思うだろうか。

「私はちょっと恐れていたんです、やなせさんはどう思うかなって。でもやなせさんのことを私以上によく知っている戸田恵子さんと、ノンフィクション作家の梯久美子さんが『すごく喜んでいらっしゃると思うわ』と口々に言ってくださったので救われました。今はそれを信じようと思います」

 やなせさんに「本当に書かせていただいて、ありがとうございますという気持ちが一番強い」と語る中園さん。

「戦争のことは、やなせさんの史実がなかったら書けなかった。朝ドラで戦争にこれだけの話数を割いて書くことには躊躇がありました。でも本当にあったことなのだからしっかり書こうと関係者を説得できたのもやなせさんの力です」

 中園さんは企画の立ち上げから、今回は戦争に重きを置こうと決めていた。

「企画の段階から今回はやるぞ、みたいな意気込みはありました。ただ、スタッフの中には反対意見を言う方もいて……。戦争の話が長いと視聴者に敬遠されるのではないかという意見は覚悟の上。それでも私はやります!みたいなことを打ち合わせで言っていました。

 やなせたかしさんを描くことは戦争を描くことです。『チリンのすず』や『アンパンマン』には戦争への思いが色濃く現れているし、それ以外のあらゆる作品に思いが散りばめられているのを感じます。

「正義というものを簡単に信じてはいけない」「復讐をしたら必ずそれは連鎖して続いていくものだ」、そういうことをやなせさんはたぶん一生かかって絵本や漫画の中で描いていらした。それを今回130回書くことで改めて痛感しました」

 だんだんと戦争を実体験した人たちがいなくなっていく時代。語り継ぐことの大切さを中園さんは実感している。

「私たちは親から戦争の話を聞いた最後の世代だと思うんです。同級生たちとやりとりをしていると、今まで親から戦争の話を聞いたことがなかったけれど、『あんぱん』を見て、親に聞いてみたら、登場人物のような思いをしていたけれど、これまでは口に出せずにいたことがわかったという話がありました。

 戦争で心に刺さった棘がそれだけ深いのでしょうね。子供には明るく楽しい未来の話や希望のある話をしながら、本当の戦争の記憶は心の奥に塗り込めてきたんじゃないかと思って。

 やなせさん自身もそうでしたけれど、晩年になって戦争に言及した作品が書かれます。でも多分、その前から戦争に関するメッセージ自体は作品に込められていたんですよ。

 皆さんのおじいちゃんやおばあちゃんに戦争の時どうだったのか聞くきっかけに『あんぱん』がなってくれたら本当にありがたいなと思います」

なかぞの・みほ/脚本家。日本大学芸術学部卒業後、広告代理店勤務、コピーライターや占い師などをしながら、1988年に脚本家デビュー。2007年『ハケンの品格』で放送文化基金賞と橋田賞、13年『はつ恋』『Doctor-X 外科医・大門未知子』で向田邦子賞と橋田賞を受賞。『やまとなでしこ』、連続テレビ小説『花子とアン』、大河ドラマ『西郷どん』、『トットてれび』『ザ・トラベルナース』などの脚本を手掛ける。著書『占いで強運をつかむ』『強運習慣100』を発刊するなど、占い師としても活動もしている。 写真提供:NHK