「私の人生、終わった…」14歳で突然倒れ、顔面麻痺を患った女性が結婚・出産、モデルの夢に挑戦するまで「人生の主人公は自分」

大切なものを失って「もう昔には戻れない」と知ったとき、どう生きていけばいいのか。

SHIBUKIさん(26歳)は14歳で脳幹部の海綿上血管腫を患い、 左の顔面と右半身に麻痺が残ることになった。思春期に病とともに生きなければならない現実を、どう受け入れたのか。

SHIBUKIさん(写真中央)と夫のひーくん、双子の娘たちと

現在、SHIBUKIさんは結婚し、二児の母に。小学生時代からの夢だったモデル活動にも挑戦している。その壮絶ながらも前向きな人生について、話を聞いた。

◆中学3年生で突然倒れて「私の人生、終わったと思った」

14歳の頃のSHIBUKIさん

――病気を発症したのは、いつだったのでしょうか。

SHIBUKIさん(以下・同):中学3年の終わり、15歳になる1か月前のことでした。突然倒れて、そのまま入院。しばらく寝たきりで、目が覚めたら、自分の体がまったく動かなくて。

医師からは「脳幹部にあった血管奇形の一種である海綿状血管腫によるもの。もう昔のようには戻れない」と説明されました。

――どんな感情を抱きましたか。

頭が真っ白になって、何も考えられなかった。私の人生、終わった……と思いました。

両親もつらかったと思います。でも「一番つらいのはしぶきだから、しぶきの前では泣かない」って決めてくれていたみたいで、こらえながら伝えてくれたのを覚えています。

3歳年下の妹も「お姉ちゃんの前では泣くな」と言われていたみたいで、私の隣では一度も泣きませんでした。あとで聞いたら、待合室ではずっと泣いてたって。

リハビリ中の様子(15歳の頃)

――全く動かないところから、どうやって今の「左顔面麻痺・右半身麻痺」まで回復されたのですか?

呼吸器がついていたので、まずはそれを外すところから。昼間だけ外して、次は夜も……と段階を踏んでいきました。少しでも体を動かすとむせてしまって、大変でした。

次に「まずは水を一滴飲み込んでみよう」などのリハビリをスタート。でも、うまく飲み込めなくて、母と一緒に病室で大号泣したのを覚えています。

リハビリはつらかったけど、食べることが大好きだったので、 「もう一度、ごはんを食べたい」というモチベーションで頑張りました。

あとは妹の存在も大きかったです。障がいを持っても、私には変わらず接してくれて、ひたすら笑わせてくれました。友達にも特に隠したりすることはなかったみたいです。

ベッドの上でモデルポーズ(15歳の頃)

――原因ははっきりしているのでしょうか?

詳しくは不明なんですけど、中2の夏に事故に遭っていて。自転車に乗っていたとき、十字路で車とぶつかって上に飛ばされて、頭を強く打ちました。CTも撮ったんですけど、「怪我はあるけど大丈夫だろう」で終わっていたんです。

でも、トラウマにはなっていないですね。私はかなりスピードを出していたので「自転車で爆走しない」という教訓になりました(笑)。

◆「普通に戻りたい」と思って普通の高校へ行くも……

高校時代

――高校は、どんな学校を選ばれたのでしょうか。

普通の高校に、1年遅れて進学しました。「女子高生になりたい」っていう気持ちが強かったのと、まだ障がいを受け入れきれていなくて、障がい者向けの学校に通うのは“自分じゃない”気がしたから。私なら、難なくいける……そう思っていました。

もう話せるようにはなっていたけど、歩くのは難しかったので、歩行器を使って通ってました。

でも、通学を始めてすぐ、「私ってこんなにできないことが多いんだな」って思い知ったんです。

――どんなときにそう思いましたか?

授業の準備とか移動とか、みんなが普通にできることが、自分には何倍もの時間がかかる。みんなと話していても、声の大きさも、会話のテンポも、ついていけない。

中学の頃の私は「元気もの」って呼ばれてたくらい、声が大きくてテンション高めのキャラだったんです。でも高校では真逆で、大人しいグループに身を置くようになりました。

放課後に遊びに行ったり、みんなとふざけあったり、そういう元気なグループにはもう戻れない。こんなの私じゃないって、高校1年のときはずっと悩んでいました。

――その後、気持ちに変化はありましたか?

高2でクラス替えがあって、派手なグループではなかったけど、そこにいた子たちは自然に接してくれたんです。気を使いすぎず、ちゃんとツッコミも入れてくれて。平等に扱ってくれるのが、ありがたかった。

あとは“かわいくなりたい”という気持ちがますます大きくなりました。顔面麻痺があるから、笑っても口角が上がらないし、目も思うように開かない。全くかわいくないんです。

でも、友達のおばさんにメイクを教えてもらったり、「どうしたらアイラインが引きやすいか」って工夫したりして、なんとかかわいくなるように工夫し続けました。

20歳の頃

――メイクは、かなり上達されたのですね。

昔は「人よりできないことが多い=人より下」って思い込んでたから、外見だけでも追いつきたかったんです。髪型もダイエットも、同世代の子たちに負けたくない一心で、やっていました。

でも、今の私を否定しない友だちとの出会いや、自分らしい装いができるようになってからは、人と比べなくなっていきました。

小学生時代(12歳の頃)

――病気になる前から、自分らしく「装う」ことにこだわりはあったのですか。

小学校の頃からオシャレが好きで、モデルになりたかったくらいなので。昔からメイクしたり、服を選んだりすることを「面倒くさい」と思ったことはありません。それは病気になってからも同じ。どうすればかわいく見えるか、ずっと考えていました。

たとえば、よく左目に貼っているラップのことについて聞かれます。これは顔面麻痺で瞬きが出来ないので、乾燥を防ぐため保護しているんです。もうラップは体の一部なので、右目をどうアイメイクすればかわいく見えるか?ということについては、日々試行錯誤しています。

今では、TikTokのライバー事務所に所属させてもらっていて、ランウェイや雑誌掲載をかけた配信イベントがあり、チャンスをつかむために配信しています。他にも「モデルになりたい障がい者ママ」として動画を投稿しています。

◆障がい者になってから「はじめて連絡先を聞かれた」

SHIBUKIさんと、夫のひーくん(写真右)

――大学では恋愛もされたのでしょうか?

大学1年生の頃、中学時代の同級生で現在の夫・ひーくんとたまたま遭遇しました。でも、再会した時は「うわ、見られた!元気だった頃と比べられちゃう!」とマイナスな印象しか抱かなかった(笑)。

私は中学3年生で障がいを発症したから、同じ中学の子たちは、元気な私しか知らない。その子たちに、今の私を見られたくなかったんです。

でも後日、共通の友人から「ひーくんが連絡先教えてって言ってるよ」って。障がいを持ってから連絡先を聞かれたのは初めてだったので、嬉しかったです。

――“ひーくん”はどんな方ですか。

とにかく“察する力”がある人。私は焼き鳥が大好物なんだけど、麻痺があるから、焼き鳥の串に残った最後のひとつが食べられない。彼は何も言わずに、串から全部外してくれておいてくれます。

お店でも先にドアを開けて押さえておいてくれたり、自然に先回りして動いてくれるんです。今までは私から「これをやってくれる?」とお願いすることが多かったから、そんな人は初めてでした。

そして、付き合うことになって、すぐに子どもができたんです。

――22歳で妊娠されて、23歳で双子の女の子をご出産されていますね。

「私なんかが子どもを育てられるの?」って思いました。自分のことですら精一杯なのに、子どもなんて無理かもしれないって。でも彼は「産んでほしい。ふたりで、みんなで育てよう」って言ってくれて。

また、彼のお父さんもすごく家事を率先してやる人でした。だから「この人となら大丈夫かもしれない」という安心感がありました。

◆他の親と比べず「自分にしてはよくやってる」でOK

マタニティフォト

――実際に結婚してみて、どうでしたか?

家事も育児もすごくやってくれて、日曜になると子どもを連れてひとりで公園に行ってくれる。その間にリフレッシュしています。

夫婦仲もいいけど……昔は、私より娘たちへの“先回り”が優先されちゃうことに、嫉妬していました(笑)。今では子どもを優先してくれることを、ありがたいなと思っています。

――他のママと自分を比べて落ち込むことはありませんか。

実は、あまりないです。

私は障がい者枠で保育園に入れていて、しかも年齢も若い。でも、周りのママたちは共働きで、年齢も上で「ちゃんとしてる人」が多いんです。だから「みんなすごいな〜」とは思っても、焦りやコンプレックスは感じませんでした。

娘たちにYouTubeを見せてばかりの日もあるし、ごはんが適当な日もあるけど、育児で比べる必要ありますか?「自分にしては、よくやってる!」って、自分らしくしていればいいんです。

◆「人生の主人公は、自分」

SHIBUKIさんにとって憧れの存在、​​クリエイティブディレクターの梯真奈美さん(写真左)との写真

――比べずに生きるためのコツはありますか。

なくしたものばかりを数えるのは、やめることです。できなくなったことに目がいきがちだけど、それだけじゃなくて、得たものもあるはず。

たとえば、私は高校の頃に元気グループから大人しいグループに移ったことで、そこにいる子たちの気持ちが分かるようになりました。

あと、顔面麻痺で話すスピードがゆっくりになった分、「聞きやすい」って言ってもらえたり、TikTokの動画配信では「癒やされる」って言ってもらえたりします。

障がいを持って「自由に動く体」や「自信」を失った方にも、覚えてもらいやすいですね。

――「何かを失った」と感じている人に、どんな言葉をかけたいですか?

私は急に障がい者になって、「もう昔の自分には戻れないんだ」って、お先真っ暗でした。高校に入っても、「やれる」と思ってたことができなくて、自分の理想と現実のギャップにずっと苦しんでいました。

引きこもったりする時期もあったけど、どうにかこうにか生きてきた。それは「人生の主人公は、自分だ」って、ずっと思っていたからです。

生きてたら、自分が求めてた形で“いいこと”があるかは分からない。でも、違う形でちゃんとあります。少なくとも私は、全部が思い通りじゃない人生だけど、今はちゃんと楽しいです。

【SHIBUKI】

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<取材・文/綾部まと>

【綾部まと】

ライター、作家。主に金融や恋愛について執筆。メガバンク法人営業・経済メディアで働いた経験から、金融女子の観点で記事を寄稿。趣味はサウナ。X(旧Twitter):@yel_ranunculus、note:@happymother