「アンパンマンの原型」が生まれた日、誰にも知られなかった“妻の涙”があった【あんぱん第105回】

『あんぱん』第105回より 写真提供:NHK
日本人の朝のはじまりに寄り添ってきた朝ドラこと連続テレビ小説。その歴史は1961年から64年間にも及びます。毎日、15分、泣いたり笑ったり憤ったり、ドラマの登場人物のエネルギーが朝ご飯のようになる。そんな朝ドラを毎週月曜から金曜までチェックし、当日の感想や情報をお届けします。朝ドラに関する著書を2冊上梓し、レビューを10年続けてきた著者による「見なくてもわかる、読んだらもっとドラマが見たくなる」そんな連載です。本日は、第105回(2025年8月22日放送)の「あんぱん」レビューです。(ライター 木俣 冬)
嵩、やまびこで覚醒
アンパンマンの原型、誕生す
ついに「アンパンマン」の原型が生まれた!
漫画を描きたいと思いながら一向に描けない嵩(北村匠海)はのぶ(今田美桜)とぎくしゃくして、ついに近距離別居生活を送ることになった。
買ってきたあんぱんをのぶに渡せなかったさみしさが、嵩にあんぱんをふたつ、誰かに届ける太ったおじさんキャラを描かせたのだ。
大きな転換を迎える第105回を振り返ろう。
「朝ご飯は?」
「喫茶店で食べるよ」
のぶの家出先は蘭子(河合優実)の住む向かいのアパートだから、近距離過ぎてばったり顔を合わせて気まずい。
はじめての別居を心配したのか、実母(江口のりこ)と義母(松嶋菜々子)がのぶのために集まる。なぜか登美子のすてきな茶室ではなくいつもの喫茶店。喫茶店もここしかないから、嵩とまたここで鉢合わせしてしまう可能性もありそうだが。それと、羽多子はしょっちゅう高知から東京に来ているのだろうか。そんな重箱の隅をつついている場合ではない。
登美子は嵩の名前は中国の嵩山からとったもので、そのせいか、こうと思うとてこでも動かないところがあると言う。動かざること山の如し。
千尋(中沢元紀)は千尋の海から名付けた。
やなせたかしの詩に「海彦・山彦」がある。亡くなった弟を思う歌。そこに名前の由来が書いてある。
それを聞いたのぶはひとり、山に登る。登美子は「登」の字を持っているのも因縁だろうか。
山に登ったのぶは「手のひらを太陽に」を歌っている子どもたちとすれ違う。
山頂でのぶは「ぼくらはみんな生きている」と歌い、「嵩――― ぼけーーーー」と絶叫する。
「たかしーーーぼけーーー」 とやまびこ(山彦!)が響き、嵩が覚醒した。

のぶの嘆き「世の中に忘れられたような、
置き去りにされた気持ちになるがよ」
最近、狭い長屋のセットの中ばかりだったので、空と山の広々とした風景や緑は視聴者にとっても一息つけるものだった。その前に、嵩が蘭子からのぶが山に向かったと聞く場面も、蘭子のアパート前がこれまでにない引きで撮影されていて、新鮮であった。蘭子の手前の葉っぱもみずみずしく、その後のロケシーンともうまく繋げている。
嵩が絵を描き終えたとき、山登りで体を動かしてすっきりしたのぶが家に戻って来た。
運動して体がすっきりしたら、心に溜まったわだかまりも出しやすくなる。これまでカリカリしていた気持ちを嵩に素直にのぶは話す。
「うちは何者にもなれんかった」
「世の中に忘れられたような、置き去りにされた気持ちになるがよ」
と滂沱の涙を流す。
中でも、「嵩さんの赤ちゃんを生むこともできなかった」
このセリフは重い。
これまで、一言も言わなかったけれど、のぶがずっと抱えてきたことだ。
本日、先行して公開したインタビューで中園ミホはこう語っている。
「多分、誰もが、一生懸命生きてきたのに、あれ、こんなはずじゃなかったのに……と思う瞬間があるのではないでしょうか。のぶみたいな女の子は私の周りにもたくさんいました。みんな、なりたいものを夢見ていたけれど、結局、結婚して、夫や子どもを支える人になってしまいます」
実際に存在している、可能性があったのに、結婚してそれを封印せざるを得なくなった女性たちの象徴がのぶなのだ。
折につけ、女性の地位の向上が語られてきて、令和のいま、だいぶ、状況が改善されてきた。とはいえ、まだまだ、全女性がやりたいことをやりたいようにできているわけではない。とりわけ、昭和30年代はまだまだであったことだろう。
のぶのモデルの暢は、中園が脚本を描き始めたとき、5つくらいしか史実がなかった。やなせの妻・暢の発言はほとんど残っていないという事実からしてもそうで。誰もが自分のやったことや思いを後世に残せるわけではない。残せる人はほんの僅か。
朝ドラ「ゲゲゲの女房」(2010年度前期)はレジェンド漫画家・水木しげるの妻の自伝が原作で、妻が大作家を支えた人物の視点で本を出せたのだ。でもやなせたかしの妻・暢はいっさい何も発信しなかった。この差は大きい。
ほとんどの人が、懸命に生きてきた事実が亡くなったあと、残らない。それが人生と潔く、すべてを風に飛ばすのもかっこいいけれど、こうやってドラマで、何も残さなかった人の想いを想像するのも素敵なことではないだろうか。
「僕たち夫婦はこれでいいんだよ」とのぶの手を握る嵩。
嵩は、のぶが頑張って生きてきたことをずっと見てきて認めている。
そして、あんぱんを食べる。のぶがいなくなってから、毎日、あんぱんをふたつ買って待っていたのかもしれない。健気だ。
どちらかが上がるとどちらかが下がる
人生はシーソーのようだ
「描いたんだ」
「たまるかー この太ったおんちゃん 最高やね あんぱんくばりゆ」
今泣いたのぶがもう笑った。あんぱんのおんちゃんで笑顔になった。
でも漫画じゃないじゃん。
「描けたんだ」とのぶに見せた、ようやく描いた嵩の描きたいもの。でもそれは漫画ではなく、イラスト。漫画じゃないじゃん。いや、これから漫画にするためのイメージ画と考えたらいいだろうか。水を差すようでなんだが、「アンパンマン」はいわゆる漫画にはならない。絵と文の読み物や絵本のキャラクターである。
漫画にこだわるのではなく、心の中を表出するもの。それが嵩が探していたものなのだろう。
他者から頼まれたものを上手にさばくことはできても、本当の自分の心を絵として表現する。それが生きることなのだ。
でもそれも、誰にでもできることではない。誰もが生きるためにできること、求められることをやって凌いでいる。ドラマでは、たいてい、自分のやりたい夢を叶える人が主人公だ。やなせたかしをモデルにした嵩が主人公だったら当然そうなっただろう。
そこをあえて、ほぼ何も記録に残さなかった、暢をモデルにしたことは、意義深いトライだったのではないだろうか。
ここからはちょっとドラマから逸れるが、中園の話を聞いて、筆者はとても納得がいった。
筆者のまわりに、著名人の妻が何人かいる。彼女たちは、家柄もよく学歴も高く、いい会社に勤め、いい仕事をして、交流も華やかだ。でも決して著名な夫より目立とうとはしない。
また一方で、人気商売をやっている同士でつきあっていた女性が、別れを決意したとき、その理由をこう言った。こういう仕事でつきあったり結婚したりするとどちらかしか売れないものだからと。
なんて野心家なんだと驚いたのだが。必ずしもそうとは限らない(これが本音だったとも限らない。そう思って折り合いをつけていただけかもしれない)。夫婦それぞれが大活躍しているケースだってある。だが、そうはならない。必ずどちらかが支える側に回るという認識もこの世に存在しているのである。
「あんぱん」に出てきたシーソーはまさにそれを表しているようだ。どちらかが上がるとどちらかが下がってバランスをとっている。
夫婦に限ったことではなく、共生とはかくも難しい。願わくば、誰ひとり我慢しなくて済む世界になるといいなと思う。

フォトギャラリー
主なシーンより

第21週(8月18日〜22日)
「手のひらを太陽に」あらすじ
いせたくや(大森元貴)は嵩(北村匠海)が書いた詩を読み、メロディーをつけ始める。そうして生まれた「手のひらを太陽に」は、「みんなのうた」でも紹介され、子どもたちにも広く歌われるようになる。作詞家としてはヒット作が出た嵩だったが、肝心の漫画は未だに鳴かず飛ばず、漫画家として壁にぶち当たっていた。
連続テレビ小説『あんぱん』
作品情報

連続テレビ小説「あんぱん」。“アンパンマン”を生み出したやなせたかしと暢の夫婦をモデルに、生きる意味も失っていた苦悩の日々と、それでも夢を忘れなかった二人の人生。何者でもなかった二人があらゆる荒波を乗り越え、“逆転しない正義”を体現した『アンパンマン』にたどり着くまでを描き、生きる喜びが全身から湧いてくるような愛と勇気の物語です。
【作】中園ミホ
【音楽】井筒昭雄
【主題歌】RADWIMPS「賜物」
【語り】林田理沙アナウンサー
【出演】今田美桜 北村匠海 江口のりこ 河合優実 原菜乃華 高橋文哉 大森元貴 妻夫木聡 松嶋菜々子 ほか
【放送】2025年3月31日(月)から放送開始