上沼恵美子さんが『ザ・共通テン!』に登場、自宅のルームツアーで半生を語る。姉・芦川百々子さんとの対談「海原千里・万里、同時に結婚してコンビ解消、紅白の応援団長から五右衛門風呂の生活に。でも不幸ではなかった」

2025年8月22日放送の『ザ・共通テン!』に上沼恵美子さんが登場。MCのヒロミさん、ホラン千秋さん、進行役のチョコレートプラネットの2人、そしてゲストの三宅健さんが上沼さんの自宅に行きルームツアーを行います。語られるのは、上沼さんの激動の半生ついて。そこで、『婦人公論』2022年9月号掲載の姉妹対談を再配信します。

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1971年に漫才コンビ「海原千里・万里(うなばらせんり・まり)」としてデビューし、瞬く間にお茶の間の人気者になった芦川百々子さん、上沼恵美子さん姉妹。苦楽を共にしてきた2人は、同じ年に結婚してコンビを解消しました。別々の道を歩んできた今、互いの存在の大きさを感じていると話します。(構成=中岡ひろみ 撮影=霜越春樹)

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【写真】かわいい!まだ中学生の上沼さんと芦川さんの海原千里・万里

負けん気はお母ちゃん似

上沼 最近、私が始めたユーチューブチャンネルにお姉ちゃんは2回も登場してくれたよね。有馬温泉に一緒に行った回は、おかげさまで138万回も観られてます。

芦川 それはすごいね。私は恵美子がずっと活躍してくれて、ありがたいと思ってるんよ。テレビに出てるのを観るたびに、すごく元気がもらえるから。

上沼 嬉しいこと言ってくれる。私のファンなの?

芦川 そうよ。お母ちゃんも「恵美子の顔見たら元気出るねん」て、よう言うてた。親孝行やって。

上沼 お姉ちゃんと私は6歳違いやから、私が小学校低学年の時にお姉ちゃんは中学生。子どもの頃は遠い存在に感じてたけど、年をとると年齢差なんて気にならなくなるね。

芦川 そう思う。

上沼 でも、小さい頃はうらやましかったんよ。お姉ちゃんは1人目やから、親から大事にされてた。

芦川 確かに両親は、私にちょっと甘かったね。ひとりっ子だった期間が長かったから。

上沼 だから、私はちょっとひがんでた。服も自転車もお姉ちゃんは新品やのに、私は全部お古。ランドセルは紙やったし。

芦川 なによ、それ!

上沼 お姉ちゃんが6年間使ってた革のランドセルはさすがにボロボロやから、「買うたるわ」ってお母ちゃんが言うて。なんか小ぶりで色も悪いなと思いつつも、嬉しかったんよ。でも雨が降ったら、ランドセルが溶けてしまって。まわりにいた子も驚いてたわ。家に帰ってお母ちゃんに泣いて「溶けた」って言うたら、「紙はあかんか」て。

芦川 よう、そんなの持たせたわ。

上沼 その後、父の念願やった姉妹漫才コンビ、海原千里・万里を無理やり組まされたわけや。あの時代、女の子がお笑いなんて、ものすごく恥ずかしかったよね。

芦川 「人に笑われるようなこと、ようさせるわ」って、近所の人たちにも言われてた。

上沼 私たちが住んでいたのは、淡路島の田舎町だったからね。3年間だけお父ちゃんの夢を叶えてあげようって。そしたら、売れてしまった。

芦川 結局、私たちは負けず嫌いやったんよ。

上沼 ほんまにそのとおり。

芦川 コンビを組んで、初めて出たNHKの「上方漫才コンテスト」に落ちた時も――。

上沼 あった、あった!

芦川 悔しくて、来年は絶対に賞を取ろうって2人で誓ったよね。

上沼 淀屋橋の駅のところで、私が悔し涙を流したのをお姉ちゃんが慰めてくれて。翌年には賞を勝ち取ったからね。負けん気ほどエネルギーになるものはないと思うわ。お母ちゃんも気が強かったから、似てるね。

芦川 そうやね。お父ちゃんは、おっちょこちょいやったけど。

「当時は現金払いだったから、そのお金をお姉ちゃんが夜中に畳の上に1枚ずつ並べてた」(上沼さん)

2人揃って同じ年に結婚して

上沼 初舞台は名古屋の大須演芸場で、私はまだ13歳、お姉ちゃんは19歳やった。

芦川 10日間の公演中は、ずっと楽屋に泊まってたね。その時に出会ったのが、うちの夫。

上沼 お義兄さんは、東京の芸人さんでね。「千里・万里ちゃん、もう寝た?」って標準語で話しかけてきて。標準語に弱い姉妹なんやろな。毎晩、焼きそばとかお好み焼きを買ってきてくれて。お姉ちゃん、目がハートになってた。

芦川 なったね。その時に「ああ、なんてええ人、あったかい人」って思ったの。

上沼 お姉ちゃんは、私を守らないといけないし、でも知らない土地で心細い。そんなところへ毎日、粉もんばっかり持ってくる。もう、王子様です。

芦川 そうや。

上沼 何とか10日間の公演を乗り切ったら、私は中学校生活に戻ってね。

芦川 私は、海原お浜・小浜師匠のところへ修業に行ってた。

上沼 師匠には、礼儀を厳しくたたき込まれたよね。

芦川 そうそう。厳しかったけど、人徳者やった。

上沼 夏休みに、お浜師匠のかばん持ちの仕事に行った時、「おはようございます」って挨拶したら、「妹、笑いすぎや」って注意されたんよ。「あなたは可愛いから、笑ったら挨拶した相手が変な気持ちになって、誤解される」って。それからは、しかめっ面で挨拶しないといけなくて。お姉ちゃんは、注意されなかったよね。

芦川 そんなことないわ! 若かったから、注意されたわ!

上沼 売れてからも、お姉ちゃんと私はむちゃくちゃ仲がよかったから、新大阪の高級マンションで一緒に暮らしてた。

芦川 忙しくて、帰宅するのは毎晩深夜。

上沼 夜中の2時くらいに、よくお寿司屋さんからてっちり(フグ鍋)の出前を頼んでた。しょっちゅう頼みすぎて、電話で「海原です」って言うだけで、「はい~、できてます」って言われたね。

芦川 出前でしか食べてないから、お店がどこにあったのか知らんわ。

上沼 そのくらい忙しかったってことよ。あの頃、お姉ちゃんがギャラの管理をしてたんよね。この間、昔、コマーシャルに出た時になんぼもらってたか聞いたら、300万円て。びっくりしたわ。

芦川 そう? 手取りで300万円だから、本当はもっと高いのよ。

上沼 当時は現金払いだったから、そのお金をお姉ちゃんが夜中に畳の上に1枚ずつ並べてた。

芦川 何畳分になるのか、やってみたくて。

上沼 引退前は、コンビでレギュラーが13本くらいあったよね。

芦川 若かったから、頑張れたんだと思う。

現役時代の姉妹(撮影◎霜越春樹)

上沼 てっちりのおかげやね。それで20歳になる頃に、関西テレビの『日曜ドキドキパンチ』っていう番組で、私は今の夫に出会ったわけ。胸のあたりが、雑巾絞られたみたいにキュッとなったのよ。お姉ちゃんもお義兄さんに会った時になった?

芦川 なった気がするわ。それで、2人とも1977年に結婚したのよね。

上沼 「売れてるのにもったいない。よく辞めるね」って、周りからは言われて。

芦川 芸人仲間は、口揃えて言うたね。でも、2人とも早く結婚したかったから。忙しすぎたしね。

「お姉ちゃんは、私がお土産で持っていったおまんじゅうを食べながら愚痴を聞いてくれて。そういえば、お姉ちゃん10個食べてたね。」(上沼さん)/「妊娠中やったから、お腹が空いてたんよ」(芦川さん)

紅組の応援団長から五右衛門風呂の生活に

上沼 引退、結婚。2人揃って妊娠の時期も重なって。お姉ちゃん、覚えてる? 妊娠中に私がお姑さんと喧嘩して、大阪からお姉ちゃんのいる東京まで飛んで行ったこと。普通やったらお母ちゃんとこ行くんやろうけど、お姉ちゃんがよかった。何でも話せるから。

芦川 そうやったね。

上沼 それで、お姉ちゃんの家に着いたら、汚いとこ住んでて。

芦川 何言うてんねん! でも、六畳一間で五右衛門風呂やったな。

上沼 えー! そうやったん?

芦川 板を沈めて入らなあかんかったんよ。

上沼 私が「姑さんにいびられた」って泣きながら言うたら、お姉ちゃんが「そうか、そうか」って慰めてくれて。でも私、ちょっとあ然とした。1年前は大阪で、アーチ形のドアがある高級マンションに暮らしてたお姉ちゃんが、1階の中華料理屋から酢豚とか唐揚げの匂いが上がってくる狭い部屋に住んでるんやもん。

芦川 あの時は、何とも思ってなかったのよ。

上沼 お義兄さんのこと、好きやったんやね。

芦川 そうやね。今は、あんなとこよういたなって思うわ。世間知らずやったんやわ。

上沼 そういう私も、お姑さん付きの狭い18坪の建売住宅に住んでた。

芦川 あの頃の姑さんは、絶対的な存在やったからなあ。

上沼 お姉ちゃんは、私がお土産で持っていったおまんじゅうを食べながら愚痴を聞いてくれて。そういえば、お姉ちゃん10個食べてたね。

芦川 妊娠中やったから、お腹が空いてたんよ。

上沼 一通り気持ちを吐き出して、ふと外を見たら真っ暗。部屋の電気を点けたら隅々まで見えて、こんなにもみすぼらしい部屋やったんかってさらにビックリしたわ。

芦川 あはは。

上沼 その2年前、私らコンビで『NHK紅白歌合戦』で紅組の応援団長やってたんよ。年末年始に一番テレビに出た西のタレントは海原千里・万里って週刊誌に載った。そのくらい活躍してたのに。

芦川 それが、2人とも一転。でも、不幸ではなかったよ。

上沼 若さと、愛があったから。

芦川 そうやね。

<後編につづく>