「技術の日産」と呼ばれた名門復活へ、温存された過剰設備に大ナタ…「V字回復」再現なるか

日産自動車
日産自動車のイバン・エスピノーサ社長は4月の就任以降、「技術の日産」と呼ばれた名門復活に向け、 追浜(おっぱま) 工場の事実上の閉鎖など矢継ぎ早に再建策を打ち出した。かつてのゴーン改革以来となる「V字回復」を再現するには、販売台数の回復に向けた成長戦略も示す必要がある。(奈良橋大輔)
国内工場の事実上の閉鎖は、2001年の村山工場(東京都)以来となる。最高執行責任者(COO)だったカルロス・ゴーン氏による大規模な再建策「リバイバル・プラン」の一環で、当時は部品工場を含む5か所が閉鎖された。

日産自動車の国内生産台数の推移
ゴーン氏は海外での積極的な拡大路線を敷き、2000年頃から海外生産が急増する一方、国内生産は縮小を続けた。08年のリーマン・ショックや18年のゴーン氏逮捕といった混乱をくぐり抜けるなかでも低迷傾向に歯止めがかからず、24年度の生産は64万台と、1990年度から7割以上減少した。
国内工場の閉鎖を含む抜本的なリストラ策の必要性は一貫して指摘された。だが今年3月末まで約5年間、トップを務めた内田誠・前社長は決断できず、経営改革の遅れにつながった。
過剰設備が温存された結果、現在の国内工場の稼働率は約6割と、損益分岐点となる8割を割り込んでいる。米国市場でも現地で人気のハイブリッド車(HV)を投入できず、工場稼働率が5割程度に低下していた。エスピノーサ氏は15日の記者会見で「あまりにも生産能力が多すぎる」との認識を示した。
「追浜工場は私たちの宝物だ。従業員は全力で支援していく」。エスピノーサ氏は15日、こうも強調した。一部の従業員は統合する九州工場に異動する可能性もあるといい、「従業員には深くおわびしたい」と述べた。影響が懸念される取引先に対しては個別に相談した上で、事業移転などを支援する考えを明かした。
追浜、湘南の両工場で車両生産が終了すると、国内生産能力は単純計算で年81万台となる。24年度実績でみると稼働率が約8割に回復する見通しだ。エスピノーサ氏は「計画通りのスピードで(経営再建策は)推移している」と話す。
世界の自動車市場は、ソフトウェアで機能を高める次世代車「SDV」の開発が将来の命運を握る。兆円単位の投資が必要で、単独での生き残りは現実的ではない。日産社内からは「リストラは進めても、売れるクルマがない状況は変わらない。ブランドの回復はかなり厳しい」(幹部)との声も漏れ、成長に向けた現実的な絵姿を示すことも求められている。
「車両生産合理化は終了」…記者会見での主な質疑

多くの報道陣が集まった日産自動車の記者会見(15日、横浜市で)=横山就平撮影
――追浜工場の生産終了の効果と取引先の影響は。
エスピノーサ氏「(生産を移管する)日産自動車九州の稼働率は100%になる見込みだ。国内の生産コストは15%の改善を見込んでいる。取引先とは個別に話して最適な解決策を見いだしていく」
――従業員の整理は。
エスピノーサ氏「影響を最小限に抑えるため、2027年度までは追浜工場での雇用を継続する。その後は他の生産工場や、追浜地区の他事業に異動するといった案を考えている。従業員、組合と密に協議を重ねていく」
――追浜工場の今後の活用案は。
エスピノーサ氏「複数のパートナーと協議している。様々なシナリオや代替策を検討した上で、売却するか、使う目的を変えるかを検討をする」
――国内の部品工場について、統合や再編を今後も検討するか。
エスピノーサ氏「部品工場については、現時点で共有できることはない。車両生産の合理化についてはこれで終わりだ」