自衛隊も重用する「4発エンジン機」が空母で幾度も発着なぜ? 記録ねらいじゃなかった! 米軍の切実な悩みとは

空母に発着した最大の飛行機とは?

 空母での運用を前提としていない大型の陸上機が空母で使われたハナシといえば、第二次世界大戦でアメリカが日本本土を初空襲した、いわゆる「ドゥーリトル(ドーリットル)空襲」での、B-25「ミッチェル」爆撃機が有名でしょう。

【画像】主翼を展開しカタパルト発艦に備えるC-2A(画像:アメリカ海軍)。

海軍航空博物館で展示される機体ナンバー149798のKC-130F。同機が空母「フォレスタル」に発着艦した輸送機である(画像:アメリカ海軍)。

日本近海まで来た空母「ホーネット」から、アメリカ陸軍航空軍所属のB-25双発爆撃機16機が発艦し、東京や横浜、名古屋、神戸などを爆撃したのち、そのほとんどが中国大陸奥地の飛行場に着陸しています。

 しかし、あれが唯一、そして最大の記録かというと、そうではありません。空母に発着した飛行機のなかで最大なのは、自衛隊でも運用している世界のベストセラー輸送機、C-130「ハーキュリーズ」です。

 この記録が誕生したのは、ベトナム戦争にアメリカが本格的に介入しようとする前夜、1963年のこと。当時アメリカ海軍では、洋上に展開した空母に対して補給を実施する輸送機として、双発のC-1「トレーダー」輸送機を用いていました。同機はS-2「トラッカー」艦上対潜哨戒機の派生型として生まれた艦上運用が可能な輸送機で、1956年より運用を開始しています。ただ、機体サイズの制約上、貨物の搭載量は1.6tほど、航続距離も1800km弱で、拡大する空母の活動範囲からすると物足りないものでした。

 より長い航続距離と、十分な積載能力を持つ輸送機を検討するなか、白羽の矢が立ったのが、空軍で運用されていたC-130でした。そこで、メリーランド州パタクセントリバーにある海軍航空試験センターは、海兵隊から空中給油機仕様のKC-130F(機体ナンバー:149798)を借り受け、10月より空母運用の可能性を探る試験をスタートさせます。

 試験用として一時的に借り受けた機体ですから、機体構造を変更するような大改造はできません。このため着艦フックの装着や、カタパルト発艦に対応した機体の構造強化は見送られ、ブレーキを強化した以外はほぼ原形のままでした。

着艦フックなくても距離80mあまりで停止

 11月に入り、ついに実際の空母を使った発着艦試験へと移行します。まずは同月8日、マサチューセッツ州沖の大西洋に展開した空母「フォレスタル」を目指し、ジェームズ・H・フラットレー3世大尉が操縦し、ウォルター・W・“スモーキー”・ストーヴァル少佐、機上整備員のエド・ブレナン1等航空技術兵曹が搭乗したKC-130Fが、パタクセントリバー海軍航空基地を離陸します。

【画像】海軍航空博物館で展示される機体ナンバー149798のKC-130F。同機が空母「フォレスタル」に発着艦した輸送機である(画像:アメリカ海軍)。

日本初空襲に向け空母ホーネットを発艦するB-25(画像:アメリカ海軍)。

 空母「フォレスタル」上空に到着したKC-130Fは、まず飛行甲板に着艦したらすぐさま離艦するタッチ・アンド・ゴーを複数回実施しました。これにより調子を掴んだフラットレー大尉は、いよいよ着艦に挑みました。

 飛行甲板に着艦すると、すぐさまフルブレーキとともに、ジェット旅客機の逆噴射にあたるリバースピッチ(プロペラの翅の角度を逆にし、後ろ向きの推力を生み出す方法)で愛機を止めにかかります。その結果、飛行甲板を3分の1ほど進んだところで機体は停止しました。こうして着艦フックなどなくても、ジェット戦闘機が着艦フックを使った際と同程度の距離で空母に降り立つことに、見事成功したのです。

 着艦したら、次は発艦の試験です。飛行甲板の後端まで後退したKC-130Fは、難なく発艦にも成功しました。空母が通常の発着艦と同様、風上に向かって全速で航行しているため、合成風力の助けもあったものの、拍子抜けするほどあっさりと成功させています。

 2週間ほど間をおいた11月21日~22日、追加の試験が再び大西洋に展開した空母「フォレスタル」で実施されました。今度は実戦を想定し、様々な貨物を搭載した状態で発着艦を行いましたが、フラットレー大尉ら3名のクルーは、これらも難なくクリアしています。

 一連の試験で、KC-130Fは合計で29回のタッチ・アンド・ゴーと21回の着艦、21回の発艦に成功し、空荷の状態(機体重量39t)ではわずか81.4mで停止し、貨物を最大に積んだ状態(機体重量55t)でも着艦に140.2m、発艦に227.1mの距離を要したという記録を残しています。空母「フォレスタル」の全長は325mなので、十分余裕のある結果だといえるでしょう。

空母への発着OKだったのに不採用 なぜ?

 これら試験結果を受け、アメリカ海軍ではC-130を使用した場合、11tの貨物を搭載して4000kmを飛行し、空母に着艦することが可能だと見積もりました。試験成功の功により、パイロットを務めたフラットレー大尉には、1965年に殊勲飛行十字章が授与されています。

【画像】日本初空襲に向け空母ホーネットを発艦するB-25(画像:アメリカ海軍)。

1950年代後半に登場したC-1艦上輸送機。S-2艦上哨戒機の派生型として誕生した(画像:アメリカ海軍)。

 しかし、大きな欠点も残りました。まずC-130は機体が大きすぎ、空母のエレベーターに載せることができませんでした。したがって艦内の格納庫に収容することが不可能で、かつC-130が飛行甲板にいるうちは戦闘機などほかの飛行機の発着艦ができません。これは作戦運用上、無視できない問題でした。

 一方、アメリカ海軍ではこの頃、空母で運用できる手頃な大きさの艦上輸送機の開発計画を、グラマン社との間で進めていました。E-2「ホークアイ」艦上早期警戒機を母体にしたその輸送機は、1964年11月に初飛行しC-2「グレイハウンド」と名付けられます。

 C-2はE-2から派生して誕生しただけに、主翼を折りたたんで空母の格納庫に収容でき、着艦フックやカタパルト発艦にも対応していました。機体尾部には貨物の積み下ろしがしやすいようカーゴランプを装備し、貨物搭載量もC-1を大きく上回る最大4.5tあまり、航続距離は1800km以上という性能を有しています。

 結局、大きすぎて持て余すC-130より、手頃な大きさのC-2の方が作戦上有効であるとの判断が下され、C-130が空母に発着する機会は試験のみで終わりました。C-2は1965年より量産され、21世紀の今も空母で物資の補給や人員輸送の任務に就いています。

 パイロットのフラットレー大尉は、のちに空母サラトガの艦長となり、艦長在任中の1980年にF-4「ファントムII」戦闘機で通算1500回目の着艦を達成しました。この中にKC-130Fによる21回の着艦が含まれていることはいうまでもありません。なお、彼は1987年に少将で退役しています。

 ちなみに、試験に使用された機体ナンバー149798のKC-130Fは海兵隊に返却され、空中給油機として2003年の「イラクの自由作戦」にも参加しています。退役後の2006年からは、フロリダ州ペンサコーラにある海軍航空博物館にて保存・展示されており、その姿を見ることができます。

【4発機デケェ!!】空母から飛び立つKC-130Fをいろんなアングルから(写真)