ワイン好きのあなたに贈る 世界の女性醸造家たちの勇気と情熱【三澤彩奈のワインのある暮らし】
山梨県の中央葡萄酒の醸造責任者として、豊かな自然の中で日々ブドウの栽培と醸造に向き合い、「甲州」の名を世界に広める三澤彩奈さん。今回は、世界から集まったワイン業界の女性たちについてつづります。
ワイン好きのあなたに贈る 世界の女性醸造家たちの勇気と情熱【三澤彩奈のワインのある暮らし】
山梨では本格的な夏を迎え、ブドウ畑では、小さな緑色の房がコロンコロンと踊っているかのように枝に実を付けています。これから熟期に入ると、今は硬く緑色の果粒が、少しずつ軟らかくなり、白ワイン用ブドウは黄色や淡い紫色に、赤ワイン用ブドウは黒い色合いへと着色をしていきます。

7月末、世界的な女性醸造家のカロリーヌ・フレイさんが、自身が醸造家を務めていたシャトー・ララギューヌ(ボルドー)、ポール・ジャブレ・エネ(エルミタージュ)、シャトー・コルトン(ブルゴーニュ)からの引退を発表したというニュースが飛び込んできました。
私がフランスに留学していた頃、名だたる名門ワイナリーの醸造家として既に活躍していたカロリーヌさん。ワイナリーオーナー一家のもとに生まれ、ボルドー大学醸造学部を首席で卒業し、その華やかな容姿も相まって、女子学生たちの憧れの的だったことを思い出します。今後はご自身の持つスイスのワイナリーでの仕事に従事されるとのことですが、カロリーヌさんの選んだこれからの道も、きっと多くの女性醸造家たちに影響を与えると思います。
近年はジェンダー平等がうたわれますが、まだ女性の醸造家はマイノリティーの存在です。女性醸造家たちがどんな思いと向き合いワインを造っているのかを今回は取り上げたいと思います。
3か月ほど前のことになりますが、ワイン業界の女性たちが集うミーティングがスペインで行われ、参加してきました。今回参加した集いを運営するのは「マグナムクラブ」と名付けられたソサエティーで、世界のワイン業界を牽引(けんいん)するワイナリーの社長や醸造家、ワインジャーナリストだけではなく、各国で初の女性ソムリエや、あるワイン産地で初の女性醸造家となったロールモデルたちが名を連ねています。創始したメンバーに話をうかがうと、ヨーロッパのワインの業界では、男性のみが入ることができる紹介制のソサエティーやクラブは多く存在してきたものの、女性が主導する会は少なかったため、立ち上げに至ったそうです。

7、8年前のことになりますが、発足して間もないソサエティーの活動に初めて参加したとき、ミーティングに指定された場所は、スペインのレストラン「エル・セラール・デ・カンロカ」でした。「世界ベストレストラン50」の評価で世界一にも輝いたこともあり、世界中から食通たちが集まってきます。バルセロナから北へ90kmの街ジローナに位置し、家族や土地への愛情に満ちた家族経営のレストランでした。イヴニングドレスではなく、爽やかなパンツスタイルやワンピースで集まったマグナムクラブの「退屈で形式的なミーティングはしない」という粋なアイデアに共感しました。
「マグナムクラブ」という名前の通り、メンバー一人一人が、1500mlの容量のマグナムボトルを持ち寄ります。よく食べ、よく飲み、よく笑い、よく話し合い、多忙を極める女性たちが世界中から一か所に集結する時のエネルギーにいつもインスピレーションをもらっています。
話が少しそれてしまいますが、ワインはボトルのサイズによって呼び方が異なります。フランスは、産地によっても使用するワインボトルの形状が異なるのですが、ボルドー型のボトルの場合、最も一般的に流通している750ml容量のボトルに対し、1500mlはマグナムと呼ばれます。それ以上のサイズとなると、伝統的な呼び方では、聖書に登場する王や人物の名前に由来することも多く、例えば、4500mlの容量のボトルはジェロボアムと呼ばれます。
マグナムボトルは、750mlのボトル2本分の容量となりますが、同じ銘柄の750ml容量のワイン2本とマグナムボトル1本を比べた場合、マグナムボトルの方が高価格で取引をされます。ワインの世界では、ボトルサイズが大きいほど、ワインの価値は上がります。私自身もマグナムボトルのワインを生産していますが、マグナムボトルの方がゆっくりと熟成が進んでいくという実感があります。より大きなボトルサイズのワインは、生産本数も限定されます。
それ以上にマグナムボトルを特別なものにしているのは、1本のワインを共有する喜びではないかと思います。今回のプログラムに参加した女性たちは25名でした。1500mlのボトルだからこそ25名で分かち合うことができ、そこで得られる一体感は代え難いものです。

対面でのマグナムクラブの公式ミーティングは1年に一度行われ、これまで、イギリス、オーストリア、イタリア、スウェーデン、南アフリカなどで開催されてきましたが、今年はスペインが舞台となり、マドリードに集合し、リオハ、リベラ・デル・ドゥエロといったワイン産地を巡り、その後は、ビルバオのレストラン「エチェバリ」で閉会となりました。
今回のミーティングで最も楽しみにしていたのが、リオハの名門ワイナリー「ヴィーニャ・トンドニア」への訪問でした。1877年に設立された家族経営のワイナリーで、現在、ワイナリーの指揮を執るのが、4代目のマリア・ホセ・ロペス・デ・エレディアさんです。マリア・ホセさんは、リオハのアイコンとも言える存在で、リオハの歴史と未来を背負っていると言っても過言ではありません。
彼女の生み出すワイン「トンドニア」は、クラシックな造りによる熟成期間の長い、エレガントなスタイルで、多くのワイナリーが、「トンドニア」のようなワインを造りたいと願っていると思いますが、簡単には真似できないような唯一無二の風格を持っています。競争の激しいワイン市場において、ワインが唯一無二のアイデンティティーを携えていることは、とても尊いことだと思います。

自身のワイナリーのためだけではなく、産地のために奔走する醸造家や、常に勉強し、ワイン醸造に関わる新しい知見を惜しみなく教えてくれる友人、若者のアルコール離れや気候変動の影響など、ワイン業界で直面している議題でリードを取るレジェンドたち。マグナムクラブのメンバーのプロフェッショナリズムや、個々の高い能力に刺激を受け、醸造家としてまだまだやれることがあると考えさせられました。
マグナムクラブが閉会した後、スペインワインと食協会の共同代表を務める原田郁美さんのご紹介で、ビルバオで国民的スターシェフのカルロス・アルギニャーノ氏が営むワイナリー「Bodega K5」を巡る機会にも恵まれました。こちらのワイナリーを案内してくださったのも、アルギニャーノ氏の末娘であるアマイアさんでした。

今回、訪問できたのは、スペインの北部のみでしたが、訪れる場所ごとに、醸されるブドウ品種も、言語も、カタルーニャ語やバスク語などと多様で、すべての旅の行程を終えた後は、壮大な物語を読み終えたかのような気分に浸りました。
先日、山梨でイギリスのワイン雑誌の取材を受けた際、ジャーナリストの女性と、300万年前の地層の話になりました。地層や土壌は、ブドウ栽培で最もロマンのあるバートです。ワインの世界にとっては、縄文時代ですら最近のことのように感じてしまうような独特の時の流れがあります。悠久の時の流れの中で、ワイン造りに関わるすべての人たちの歴史を背負い、何世代にもわたってワイナリーにフィロソフィーが紡がれていくことが、心が震えるような物語を生み出しているのだと感じ入りました。
スペインの女性醸造家たちのワイナリーを訪ねながら、父親や家族への献身、ブドウ畑や造られるワインへの母性、産地への愛情など、共通するものを感じました。世界で、醸造家の資格を持つ女性の割合は、17%に満たないと言われています。その中でも、ワイナリーを継ぐ女性はさらに限定されてしまいます。今でも、男性しか相続が許されていないワイナリーは存在します。私もまた、覚悟のようなものを持ち、家業のワイナリーに入った一人です。
1年に一度しか造ることのできないワインだからこそ、私たちにとってはワイナリーが存続していくことに意味があり、そのためには、時に身を引かなければならないような決断を迫られることもあります。どれほどワイナリーに献身的であったとしても、女性醸造家たちの立つ位置は永遠に約束されたものではありません。それでも、人知れない努力や苦労を表には出さずに、新たな道を模索してワイン業界で生きていく。そんな女性醸造家もマグナムクラブのメンバーには含まれています。私たちの存在ははかないけれども、颯爽(さっそう)としてエレガントで強い。マグナムクラブの集いに参加すると、そんな勇気をもらえる気がします。
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